恩師のご著書「講演集」より
講演集、 三
内なる心は神理を知る
ここに来て、寒い戸外で一晩待っていただいた方とか、
初めてお会いしたのに、涙が止まらなくなるという方などがよくあります。
年配の方もそうです。
若い方もそうです。
ある奥さんですが、環境が厳しくて、おじいちゃん、おばあちゃん、
そして気難しいご主人という家庭で、
結構なお宅だけに重荷が大きかったのですね。
どんなことがあっても、泣いてはいられないと必死に生きてこられたという方と
ご縁があって、訪ねて見えました。
すると、ここに入ってこられるなり、
泣けて泣けてどうにもならなかったそうです。
まだ私の顔は見ていないのにです。
ただ坐られただけで、もう泣けてきて、「先生、恥ずかしいです」と言って、
泣いていられるのですね。
「私は涙の無い人間かと思っていました」と言われますが、それは耐えて
耐え抜いて生きてこられたからです。
それがこの場所に入ってこられると、突然安らぎに包まれたのですね。
「恥ずかしいです」と言って、泣いていられますので、
お話させてもらいました。
「いや恥ずかしくはありません。それは法雨です」と、
さきほど、皆さんが流された涙も、
お互いに心の中にちゃんと自覚しているからこそ、
こみ上げてくるのです。
それを教えてくれる人がなかったのです。
ですから、私たちは、尊い使命を頂いているのだと自覚してもらって、
一人でも多くの方に幸せになっていただくように
頑張っていかなくてはなりません。
使命を持っているからこそ、こうして集えるのです。
私のテープを初めて聞いて、泣きながら聞いて下さる方が多いですね。
なぜ、こんな私の話を涙を流して聞いていただけるのかというと、
それは内なる心が知っているからです。
皆さんと何ら変わらない、
皆さんよりなお至らない未熟な私ですが、そんな
私のとりとめのない話で、同じことを何度も話していると思いますが、
神理は一つだということです。
神理は変わっていないから、同じことをしゃべるより他ないですね。
高橋信次先生のテープも、何回も聞いてみますと、
みな同じことをおっしゃっています。
ですから、話は一回でいいのですね。
それを、「どこのテープがよい、
四国での話のテープはよい」と言ったりしてます。
初めての所へ行きますと、
安心して同じことをしゃべっております。