浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

もろもろの集える人の
その中に法語り合う
友ぞうれしき

「御垂訓」

2021-02-22 23:55:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
 ~ 恩師のご著書「講演集」より ~

               講演集、三

            誤った信仰の怖ろしさ


或る時、大阪でやはり正法の神理を伝えている方があるのを知りました。
この方は、過去世の言葉をペラペラと喋り、そのグループの方も過去世の
言葉を喋ります。
「高橋信次先生が亡くなられた後、また、こういう方が現れて下さって
有難いことだとなあ」と思って、一度お話を聞きに行ったのです。
初めてお会いしますと、私のことはよく知っておられて、「よく来てくれました」
と合掌して迎えてくれ、「まあどうぞ前に坐って下さい」と言って、私のことを
褒めてくれるのです。

「私は神に祈ります。私は何の力もありません。しかし、祈ることによって
神はその御業を現わして下さいます」というお話をさせてもらったのです。
すると、その先生が、「長尾先生は祈るという言葉をよく使われますなあ、
生年月日はいつですか」と聞かれるので、それを言いますと、「アガシャ系
ですなあ、アガシャ系の方が祈るというのはおかしいですなあ」とおっしゃるのです。
「先生はどうされるのですか」と聞きますと、「私は神と一体です」と言われるから、
「こりゃ偉い人だなあ」と思ってびっくりしました。

その後、二回目にお会いしました時に、ある方に光を入れておられたのです。
「大宇宙、大神霊、仏よ、当体の骨髄を通し、当体の意識に光をお与え下さい。
天上界の諸如来諸菩薩、光の天使よ、どうぞ光をお与え下さい」と、一生懸命
祈っておられるのです。
「一つも祈らないと言われたのに、私よりもたくさん祈っていられるなあ」と
思ったのです。

私は「神よ、光をお与え下さい。どうぞ神の御意志を、
調和と安らぎをお示し下さい」とお祈りするだけですのに、
その先生はそれを三回も五回も祈られるのです。
それでも、病気はちっとも治らないのですね。
それで、そういうところから疑問を抱き、「これはおかしいのではないか」と
思ったのわけです。
おん自ら、イエスを名乗っておられました。
その他にも、いろいろ面白いエピソードがあるのです。



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「御垂訓」

2021-02-22 00:03:30 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より

             講演集、 三

       曇りのない幼子には神の光が見える


今日お見えになっているAさんが、
今負ぶっていられるのは、生後十カ月の
赤ちゃんです。
「神よ、どうぞこの新しい命に光をお与え下さい。
祝福をお与え下さい」と、
祈っておりますと、誰も教えていないのに、
ちゃんと正座なさって合掌されたのですね。
何とも清らかな赤ちゃんのお姿です。
その写真がここにありますから、
あとで見せてもらって下さい。
ほんとうに仏様ですね。

こういう幼い子は、神の光を見ることができるのです。
それは心に曇りがないからです。
今おいでにいただいているY先生のお孫さんも、
幼い頃に、「ああ、光ってる、
光ってる。お母ちゃん見えないの?」と、
言っていました。
お母さんには見えないのですけど、
幼い魂は神の光をちゃんと見ておられるのです。

窓も天井も畳もみな光っていたのですね。
家でおじいちゃんがどんな色だったかと、
金や銀の入った色紙を買ってこられて、
その光と同じのがあるかと尋ねられたら、
金色の紙を指して、「この色だ」
と言ったのですね。

おじいちゃんは理科の先生で科学者です。
だから、暗示を与えてはいけないので、
この中にその色があるかというように
尋ねられたら、「これだ」と指さしたそうです。
金色に光り輝いているのですね。
すばらしい一つの現象です。



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