~ 恩師の御著書「講演集」より ~
講演集 一
「片目」への感謝
これは片目を失明した或る婦人の話しです。
毎日泣いて泣いて泣きあかし、お顔はもうすっかり
「泣き顔」になっておられます。
この世の悲しみを自分一人で背負っています、というような方が
私の所へ見えたのです。
四年間も泣き暮らしておられたそうです。
その方は、ワイヤーロープの会社に勤めていて、
或る時そのロープがピンとはじけて目に突き刺さってしまったのです。
最高の手当てをされたのですが、失明して義眼を入れることになり、
自分は生まれもつかぬ不具者になってしまったと悲しまれたのです。
義眼になると夜休んでいても目が閉じてくれませんし、
義眼をはずせば目が落ち込むし、主人に対しても恥ずかしい、
私は何と不幸なんだろうと毎日泣き暮らしていたのですが、
そんなことをしているとノイローゼになりますものね。
何とか助かる方法はありませんか、
とそのお姉さんが連れて来られたのです。
その方に対して「両目の健全な私が言えば、
先生は両目とも揃っているからそんなことが言えると
思われるかも知れませんが、片目が潰れて不幸だといって
毎日泣き悲しんでおられるあなたの生活も現実です。
今、現にあなたがそのような生活をしておられる。しかし、
今後もしも悲しいと思われたら、掌を合わせて、
神様にありがとうございましたといってお礼を言って下さい。
あの時、はじけたロープが両目に突き刺さっていたら、両目失明です。
でも片方で済んで、ようこそ片目を助けていただきましたといって
感謝して下さい。感謝して暮らせるのもこれ又現実です。
両目とも潰れたら片目ある場合よりも、更に不便です。
いただく食べ物も自分でどこにあるのか分かりませんし、
トイレに行くにしても片目があればこそ不自由しません。
両目ともなかったらこれは大変なことです。
助けてもらったこの目に対して感謝をして下さい」と言って、
その方にお願いをしたのです。その方も頭の良い方だから、
よく分かりましたと納得をしてくださいました。
(この後の文面は明日記載する予定です)