浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

自我越えて肉の己れを
捨し時 神と我とは
一つなる知る

「御垂訓」

2022-03-28 00:20:45 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の御著書「講演集」より ~


             講演集 一

      「釈迦は自ら目覚めよと説く」

私共はこの世を去りましたら、
天上の世界に帰れますようにと思いますが、
この世の生活が幸せであれば、必ずあの世へ行っても幸せです。
続きの世界ですから何ら変わった所へは行きません。
腹ばかり立てていたら、腹立ての世界へ行きます。

そういう世界へ自分ではまりましたら、
なかなか出て来られません。
これは、子孫がいくら拝んでも、お祀りしても、
いい戒名をつけてもらっても救われません。

なぜかと言いますと、お釈迦様がおしゃっていることで話しますと、
お釈迦様が弟子と共に説法の旅に出ておられた時、
池のほとりで休憩されました。
その時弟子が、時に先生、
西の方から来たバラモンの教えによればこの世において罪、
過を犯し、暗い世界に落ちた者でも、バラモンが来たりて、
供物を捧げ経文を唱えて、

その者の為に供養を積めば救われると聞きました。
先生もそのようにされるのですか」と質問したのです。
するとお釈迦様が「それでは私からそなたに一つ質問をさせ欲しい」
とおっしゃって、池のほとりにあった一つの大きい石を指して
「この石を前の池に投げ込んだら、この石はどうなるか」
と聞かれたのです。

これは、子供でも分かることで、石を池にはめたら沈んでしまいます。
弟子が「石は沈みます」と答えました。
するとお釈迦様は「まさにその通である。
それでは今沈んだあの大きな石に対して、
この池の周りに祭壇を組んで、よき戒名をつけ、
石に対して供物を捧げ、
バラモン衆が来たりて石を上がれ、
石よ上がれと経文を唱えて踊れば石は上がるだろうか」と聞かれました。

いくら石を拝んでも上がって来ることはないのは、
子供でも分かります。
「それは無理でしょう」と弟子が答えると、
「まさにその通り、私らは、自ら汚れ、自ら重くなり、
自ら沈むものである。
では、そのような沈んだお方でも救うことができるのは、
その方の心が目覚めてくれた時です。

その時、ほんとうに救われます。
その方に対して「この地上で生活した時のことを反省しなさい。
あなたは原因結果の法則によって、
あなたが作ったこの世での原因によって、
今暗い世界に結果としておられるのです。
だから原因を徹底的に追及して懺悔、反省をしなさい。

心の底から泣いて泣いて神に許しを乞うたその時、
自分の心は安らかになって救われます」と話しかけますと、
心が軽くなるから、自然と浮き上がって来るのです。
こういうことがお釈迦様の一つのお経の中に説かれています。


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