恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第二章 必要なのは正しい生命観の確立
◆肉、魚、野菜、植物。鉱物、我が身に一つの命は流れる◆
生きていく限り、肉体を保持しなくてはいけません。
そのためにあらゆる動物の命、つまり肉や魚などの生きものの命をいただいています。
また、植物の命や水、鉱物の命をいただいて、そのお陰で生きさせていただいているのです。
見えない宇宙の中心から流れどおしの神の愛が命となって動物や植物や鉱物に注がれていると同時に、
また私たちにも注がれています。
花の命も私たちの命も同じです。
生きるということは、他の命をいただき、他の命のお陰で生かしていただいています。
米も肉も野菜もすべて「生きた命」を私たちはいただいています。
それらの犠牲と奉仕に対して報いるということは、食物が私たちの肉体の中で血や肉となって、
いっしょに修行してくださいという気持ちで祈りつつ、いただくことです。
常にこのエネルギー源への感謝の心を忘れないようにしなくてはなりません。
ところが、あって当然という思いから、感謝を忘れています。
足ることを忘れて、欲望だけを太らせていったら、どうなるか。
やがて人類は滅亡してしまいます。
戦後の日本では、機械化農業で手間を省いたり、
経済合理化主義の考えにより除草剤を大量にまいたり、
また経済を発展させ消費をますます増やすために、不必要なものまで
工場で過剰に生産してきました。
そのため、環境を汚染する化学物質をまきちらし、
最近では生物界での「メス化現象が話題になるほど地球上の生命が絶滅の危機に瀕したり、
人間の健康が害毒にさらされたりしている始末です。
除草剤や農薬のかかった米や野菜、ダイオキシン類に汚染された牛乳、
環境ホルモンによって生ずる水産物の汚染や生物界の異変。生殖異常など、
挙げればきりがありません。
これでは生命や神への感謝どころの話ではありません。
おまけに、これらへの冒瀆とも言えるのは、
神聖な領域を汚してしまっている科学上の発見や技術上の発明です。