浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

肉体の限度にいどみ人救う
愛の行い我が内の神

「垂訓」

2023-11-20 00:02:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


             第三章 天上界への道

         ◆神を知りたければあの太陽を見なさい◆

先の続き・・・

人はその過去を反省した時、大小の差はあれ、
罪過ちを犯していない人は誰一人ありません。
太陽の熱、光(神の慈愛)からバチを当てられた人は一人もありません。
もし、太陽の熱光(神の慈愛)からバチを当てられたなら、
人間存在がなりたちません。
こんな話があります。
何十年も夫の浮気を赦せずに、徹底して夫への冷酷さを貫きながら、
自らの心を苦しめていた婦人に、「赦させていただきなさい」
とアドバイスさせてもらいますと、
その方はそれを実行し、ようやく心の地獄から救われました。
人間は自分に不都合なことをされれば、
相手に怒りや憎しみの思いを抱いてしまうものです。
しかし、どんな場合でも、相手を赦すことは自分のためです。

だから、「赦してやる」のではなく、「赦させていただく」
という意識になれば、もっと楽に赦せます。
「してあげる」「してやる」より、「させていただく」
のほうが神の御心に近づける喜びがあります。
「赦させていただく」という心も、
「責め裁かない(無条件の赦し)」という神の御心を
実践させてもらうということにほかなりません。

死ぬ時になって、この世に生かされている間「私はよくやった」と、
自らにねぎらいの言葉をかけることができ、
満足と感謝の心を味わえてこそ、
死ぬということの意味も豊かになってくるのです。
そのためにはどうしたらよいかというと、
あの太陽の心を我が心にいただき、
日々の生活の中で太陽の心を行うことであります。
他の為に尽くすといっても、
まず自分の生活の基盤をしっかりさせなくてはなりません。
人の家の前に立ち、お茶碗に食べ物を恵んでくださいというのは、
昔の日本でもありましたが、
現在の日本では通りません。


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