浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

肉体の限度にいどみ人救う
愛の行い我が内の神

「垂訓」

2024-01-29 23:58:23 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


       第四章 「思い変え」こそ幸せの扉を開ける鍵

   ◆幸せの扉を開ける鍵「観自在菩薩」の意味と「思い変え」の法◆

「喜べば喜びごとが喜んで喜び集めて喜びに来る」

私たちはまず喜ばなくてはなりません。
そうすると、喜びごとが喜んでくれるのです。
同じことは否定的な思いを持った時にも言えます。
不平不満、愚痴、そういう想念から行為していると、
不平不満や愚痴が余計に不平不満や言って、そういうものを集めてきます。
幸せになるはずがありません。
べてを喜びに変える方法としては、
あらゆることに関してこの「源ヤン」の思い方をうまく応用することです。
あらゆるものを金に変える錬金術のように、
どんなものでも喜びに変えられたならば、
これほど素晴らしい人生の宝はないでしょう。
人生はどんな困難な出来事が待ち受けているかわからないです。
嫌なことを思い方一つ変えるだけで喜びに変えていけます。

ところで、この「思い変え」の法は、実は般若心経の中に説かれている「観自在菩薩」
に通じるものです。「観自在」とは観ることが自在のことです。
菩薩は如来を目指して仏道修行に励んでいる人のことですが、私たちでも正しい教えを学び、
やがては仏に到らせてもらおうというほうに心を向けて実践すれば、みんな菩薩です。
此処に灰皿があるとします。

上から見るとタバコを置く窪みがある面、
横から見ると台形で角張った面、
底のほうから見ると丸く調和した面と、
一つの灰皿でも見る面を変えることによって、
それぞれ違って見えて来ます。
それらが合わさり、一つの灰皿という立体をなしています。
私たち人間にしても同じで、たいへん嫌な面、
角の立った面、人を見たら突っかかっていく面がある反面、
調和された美しい面もあります。

これが人間の心の複雑怪奇さです。
先程述べたように思いの雲が厚くても、
反省と作善止悪の行為を積み重ねて、
雲が切れた時、その切れ間から神様の光が差して来ます。
完全に心の曇りが晴れれば魂の器を神の光が貫き、
神の御心と同じになります。


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「垂訓」

2024-01-29 00:06:46 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


      第四章 「思い変え」こそ幸せの扉を開ける鍵

   ◆幸せの扉を開ける鍵「観自在菩薩」の意味と「思い変え」の法◆

何事が起きてもわるく見る見方と、喜びに見る見方とがあります。
いちばんわかりやすく参考になるお話をします。
東大阪に明治の初期に生きた「結構の源ヤン」という方がいました。
何事があっても「ああ、結構やないか、結構やないか」とおっしゃって、
決して愚痴や不足不満を言われなかったということです。
或る年、毎日毎日雨が降り続きました。

当時、「土方殺すに刃物はいらぬ。雨の三日も降ればよい」
と言われたものでしたが、その頃は日雇い労働者の人は
三日も仕事がなければ食べていけない状態でした。
それが一か月から雨が降り続いたそうです。
そこで、源ヤンの友達が「いかな源ヤンでも
この雨にはまいったことだろう。
結構とはよう言わんやろうなあ。

何と言うか聞きに行こう」と言って、
源ヤンの家に出掛けていったそうです。
「ごめん、源ヤンおるか!」と奥に呼びかけると、
「ハーイ」という声とともに出てこられました。
「かなわんなあ、これだけ降ったら」と言いますと、
「ああ結構やないか」と言われたので、
友達があきれて、「何が結構やねん」と聞きますと、
「お前らよう考えてみ。これだけ降る雨を、
もし神さんが三十日間天で受けてくれはって、
一杯にたまったのを一片にまとめてぶちあけられたら、
家も田圃も皆流されてしまう。

ようこんなにうまいこと何日にも分けて
降らしてくれたもんや。神様は何と結構なお方や」
と言って喜ばれたということです。
雨続きでもう食べてはいけない状態であっても、
そのことを嘆く代わりに、
一度にためて降らしたらたいへんな被害になるのに、
うまいこと分けて降らしてくれるとは神様は
ありがたいなあと思いを喜びのほうへと変えてしまうのです。
結構の源ヤンと呼ばれたこの方は、
後に東大阪一の結構な人になられました。
大阪では有名な話です。



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