恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第四章 「思い変え」こそ幸せの扉を開ける鍵
◆人の愚行によって自分の心の平安を失った時、
その人よりも自分が愚かとなる◆
先の続き・・・
これは自分中心に考えるからです。
しかし、ちょっと距離を置いて冷静になれば、相手が、
まったくわからないので犯している誤った行為のあまりの愚かさに
唖然としてしまい、どうしたよいのかお手上げになると同時に、
相手には当然軽蔑の念を持ちます。
そこで、一旦角度を変えて、また自分の視点から眺めると、
やはり自分に向けられている不都合な行為と見るから、
再び腹が立ってきます。
ここで怒るのは簡単です。
相手に怨みや憎しみをおもいきりぶつければ、
さぞかし爽快な気分になることでしょう。
少なくとも一時的には気持ちがスッキリするかもしれません。
しかし、ここで気をつけなくてはならないのは、
その後の結果がどうなるかです。
自分の心はたちまち墨を流したように真っ黒に汚れるでしょう。
腹に固まりができ、心臓がドキドキ、血圧も上がるでしょう。
怒りの思いが心の調和を破り、肉体まで痛めます。
今度は後始末がたいへんです。
相手との間にさらにいっそう激しい憎しみの業火が
燃え盛ることになるかもしれません。
しかも、自分自身はもともと誤りがなく、
不調和な心になる原因もなかったのです。
それを人の愚かな行為や言葉によって、
我が心の平安を失ってはいけません。
新たな苦しみを増やすようなものです。
相手が愚かだと云いながら、
自分はそれ以上に愚かだということになってしまいます。
聖典に「人の愚かなる行為をもって我が心の楽しみを失うことなかれ」
「人の愚かなる行為をもって我が心の楽しみを失う者は、なお愚かなリ」と
書かれています。
相手の行為を愚かだと思っても、それに対して怒ったり非難したりしたならば、
自分がなお馬鹿になり下がってしまいます。
喧嘩するためには必ず相手のレベルまで自分の位置を下げなければなりません。
軽蔑する相手よりさらに馬鹿になりたくなかったら、
相手にしないで黙殺すべきです。
~ 感謝・合掌 ~