浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

肉体の限度にいどみ人救う
愛の行い我が内の神

「垂訓」

2023-11-14 23:57:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第二章 必要なのは正しい生命観の確立

        ◆宇宙の中心から流れどおしの愛の光◆

先の続き・・・

なんたる広大な、なんたる壮大な、なんたる荘厳な、
なんたる叡智に満ちた大宇宙であることでしょう。
この大宇宙の中心か流れ出る一つのエネルギーと
数々の法則によって、
全宇宙が動かされています。
循環、生産、破壊、調和、今現在もこの大宇宙の中で
数百億年の年を経て、
自ら爆発、破壊し、宇宙の中に分散している星もあり、
この分散したガスがまた集まって新しい星が
生まれていることも事実です。
なんたる壮大なドラマでしょう。
小さくこの地球に目を移した時、
地球の大自然の中にもまったく同じ法則が働いています。
現れては消え、消えては現れる永遠不変の真理です。
私たちは人間も例外ではありません。

また、小さく原子の世界に入ってもまったく
同じ法則によって動かされています。
この大宇宙の中心から流れ出る一つのエネルギーを大生命と呼び、
愛と呼び、神と呼んでいます。
また、大宇宙の数々の法則を正法と呼んでいます。
この書の中で神という言葉が数多く出て来ますが、
この世の宗教とはいっさい関係ありません。
大宇宙の中心から流れ出るエネルギーを神と表現し、
大宇宙の数々の法則を正法と表現させていただいています。
このことをご理解の上、読んでいただければ幸いです。


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「垂訓」

2023-11-14 00:00:19 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第二章 必要なのは正しい生命観の確立

        ◆宇宙の中心から流れどおしの愛の光◆

先の続き・・・

まだ来ぬ先の心配ばかりしている方によく言います。
「生きている限り絶対に死にません」。あるいは、
「死ぬまでは間違いなしに生きています」。
これは真理です。
大安心の中に生きてこそ神様とともに生きられ、
肉体的生死を超えた永遠の生命のもとに帰ることができます。
永遠の生命とはなんでしょう。

私たちの住まわせていただいている地球は、
太陽系の中の一つです。
太陽系には太陽を中心として、
九つの惑星と三万数千個の小惑星があると言われています。
銀河系宇宙には太陽系のような星の集団が約二千億個もあるそうです。
この銀河系星雲のはるか彼方に、
また銀河系星雲のような星雲が無数に点在し、その数、
数千億個が集まって島宇宙をつくり、その島宇宙が数千億個集まり、
大宇宙がつくられていると言われています。


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「垂訓」

2023-11-13 00:11:57 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第二章 必要なのは正しい生命観の確立

        ◆宇宙の中心から流れどおしの愛の光◆

先の続き・・・

死は実在界の側より見れば、単に古くなった衣を脱いで、
生命の源により近い実在の世界
に魂が帰っていくだけの話です。
宇宙の中心には泉のようにあふれ続ける命のエネルギー源があります。
それはこの物質の現れの世界から見れば、はるかに高次元の段階にあり、
私たちのところまで、その愛は注がれています。
この流れは遮られれば一日も生きてはいかれません。

死の心配や恐れを心にいだいていても、死期が遅くなるわけでもありません。
心にこういう思いを詰め込むと、重い心となり幸せになれません。
それよりも、惜しみなく、限りなく流れ来たって私たちに注がれている
神様の大いなる愛に対する感謝と報恩の心を常に忘れず、
喜びをもって日々の生活の中で、
神様へのお返しとしての善き行いをこの身を現わしていくほうが大切だと思います。
それには今を生きることです。


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「垂訓」

2023-11-12 02:28:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


       第二章 必要なのは正しい生命観の確立

       ◆宇宙の中心から流れどおしの愛の光◆

先の続き・・・
死後硬直が起きないという事態に遭遇した時、
私たちの中には非常に戸惑う方もおられるでしょう。
亡くなって三日間も身体が温かく、綺麗な顔、
ということもあります。
本来、心は物質に支配されないものです。
心は物質を超えています。

肉体がこの世の法則を超えた奇蹟を現わすのも、
心の本来の働きが肉体に影響しているからです。
人間は何度も肉体という衣を着脱しながら、
生まれ変わり死に変わりしています。
一方、魂は永遠に生き通しの命として持続していきます。
人間の本来は永遠の存在です。

ところが、肉体を自分と思っていれば、
魂は肉体に支配され拘束されたままです。
自分の正体、魂本来の使命やふるさとを忘れ、
眠ってしまっているかのようです。
あの世へも行くことができ、
生き通せるはずの魂が自由になれず、
肉体がなくなるのは嫌だなとか、
死ぬと燃やされるからかなわないな、
恐ろしいなという思いにがんじがらめに縛られ、
委縮していると、たちまち肉体は石のように硬直し、
本当に生命の根っ子から
プツンともがれた花のように美しさを失います。



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「垂訓」

2023-11-11 00:20:31 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


       第二章 必要なのは正しい生命観の確立

       ◆宇宙の中心から流れどおしの愛の光◆

魂が自分の本質を悟って死ぬ時にうまく肉体を離脱できれば、
成仏できます。
この時に不思議な現象が起きます。
それは先に述べた死後硬直が起きないということです。
なぜ、一般にこれを「不思議な」現象と言ってしまうかというと、
肉体に現れたものだけを見て、心の状態のほうを見ないからです。
この世の法則からすれば、肉体や物質を主に考えるために、
「いかにも不思議に思える」にすぎません。

命のないはずの死体が柔らかいだなんて、
そんな馬鹿なことはあり得ない、と。
医学的には、体温によって私たちの細胞の間にある乳酸によって
身体は動くようになっているそうです。
血液循環で温度を保っていれば、乳酸が柔らかく働いていて、
血液が止まると体温がなくなり、乳酸が凝固してきます。
これが死後硬直の姿です。
法医学上は、殺人事件に際して、まずは法医学の専門家が来て、
遺体に触ってみてその硬直の具合を調べます。
顎のあたりから始まり、全身へと硬直が広がっていきます。
その状態によって、これは何時間前の犯行であると判断します。



※ ご報告

ブログ名:垂訓 URL:http://blog.goo.ne.jp/hanatenzen 
当ブログの開設日より現在までのトータル訪問者数、
並びにトータル閲覧回数をご報告申し上げます。
開設日:(2008-11-11)から本日現在(2023-11-11)
までの5,478-195=5,283日間で:
(不可抗力で投稿できなかった日数を195日として計算しています)

トータル訪問者数:559,938名     一日平均:106名
トータル閲覧回数:1,427,908回    一日平均:270回

沢山の皆様の当ブログへの訪問ならびに閲覧ありがとうございました。
恩師「長尾弘」先生も天上界で大変喜んでおられることとご推察致します。
微力ながら、小生も皆さまのご健康とご多幸をお祈りさせていただきながら、
日々当ブログの更新・管理をさせて頂いております。
今後とも宜しくお願い致します。
ありがとうございました。

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「垂訓」

2023-11-10 00:00:30 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第二章 必要なのは正しい生命観の確立

         ◆命のふるさとと光の量の区域◆

先の続き・・・

実在界と現象界との大きな違いは現象界がいかに
教育的な環境であるかということです。
姿形だけみれば、個人差はそれほどないようですが、
心は「あの世」のものです。
それが「この世」の五官を備えた肉体の中に宿ることにより、
自己保存や自我我欲などの「業」の思いを生み出し、
もともとの愛や平安の心を忘れてしまいます。

ところが、自らつくり出してしまった悩みや苦しみ、
「この世」の災難、苦労や困難などを経験することによって、
心の誤りを反省させられ、軌道修正することで成長を遂げつつ、
再び魂のふるさとにいた時の平和な安らぎの心を思い出し、
より次元の高い心へと導かれ成長させられます。

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「垂訓」

2023-11-09 00:05:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第二章 必要なのは正しい生命観の確立

         ◆命のふるさとと光の量の区域◆

先の続き・・・

光の量の区域という実在界の法則から、
異なる魂のレベルが同居する現象界に心が移行することで、
いかに魂の次元の高い方も次元の低い方も、
同じ肉体に宿りますから、
今度は様々な光の段階の人と出会い、
そこで起きる出来事を通して効果的に
学んでいくことができます。

魂の速い進歩のためには、
この苦労の多い「苦海」とお釈迦様が言われる現象界に
生かしていただけることはとても幸せなことです。
魂の次元の高い方を見て、次元の低い方は、
「あのように生きなくては」と学ばせていただき、
また低い方の言動を見て、
「あのように生きてはいけない」と学んでいきます。


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「垂訓」

2023-11-08 00:33:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第二章 必要なのは正しい生命観の確立

         ◆命のふるさとと光の量の区域◆

なぜ、この現象界が修業に適しているかというと、
ただ厳しい荒波の世界であるからというだけではなく、
別に重大な理由があります。
生まれる以前の素晴らしい世界には、
それぞれの魂の浄(きよ)まり具合に応じた
光の量の区域があります。
百ワットの人は同じ百ワットの人だけが集まり住む区域に、
また五十ワットなら五十ワットの人々同士が
集まり住む区域に住んでいます。

つまり、同じ心のレベルの者同士が一つの
区域に集まっています。
そうすると、魂の修行にとって不都合なことが生じてきます。
魂の次元の同等なもの同士が出会っても、
他を見て己れの至らなさに気づかされたり、
お手本を見させてもらったり、
逆にあのようになってはならないと
見せられたりすることがありません。
つまり、他人と自分との違いから学ぶということができません。


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「垂訓」

2023-11-07 00:05:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第二章 必要なのは正しい生命観の確立

        ◆魂の修行という生命の目的を知ること◆

先の続き・・・

私たちは食べるために働き、生活のために汲々としたり、
時には間違ったことも認めなくてはならなかったり、
人の嫌な面や自分の汚らわしい部分にも直面させられたりと、
肉体を持つかぎり不自由きわまりない人生を強いられています。
しかし、人間はただ食べて寝て働いて、適当に遊んで、
肉体の終わりとともに一生を終えるだけの存在ではありません。
なんのために命をいただき、この地上に出て来ているのか。
それは少しでも魂を進化させ、向上させるためだったはずです。

もちろん、その結果としてこの世の生活が充実し、
幸せも健康も自分のものにできるものでなくてはいけません。
その上で魂のふるさとにいつの日か帰り着き、神様と、
そして魂の兄弟たちとの約束を果たしてまいりましたという
安らかな喜びをお伝えすることです。
そのためにも毎日を心豊かに過ごせるよう、
反省と善き行いの努力をすべきです
一休和尚に次のような道歌があります。
「世の中は喰うてくそして寝て起きて
さてその後は死ぬるばかりか」
物質だけを追い求めて生きると、
どれほど地位、名誉、財産を得ても、
このような一生になります。


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「垂訓」

2023-11-06 00:00:21 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第二章 必要なのは正しい生命観の確立

        ◆魂の修行という生命の目的を知ること◆

先の続き・・・

それほどこの現象界とは危ない所です。
誰しもが幸福な人生というものを望みます。
自らの欠点を直さなくてもいいのだと言われる方でも、
自分が不幸でもいいとおっしゃる方はおられません。
それは、調和した光あふれる「魂のふるさと」
において味わった幸福感、至福の芳香というものが、
記憶の底に残っているからにほかなりません。

望郷の思いであり、郷愁、ノスタルジアの思いです。
再びかつての幸福感を体験するには、
この現象界の様々な困難や危険や誘惑に負けることなく、
それらをのりこえて、自らの心の奥深くへと
探求していかねばなりません。
そのための悪癖の修正とも言えます。


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「垂訓」

2023-11-05 00:37:22 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第二章 必要なのは正しい生命観の確立

        ◆魂の修行という生命の目的を知ること◆

先の続き・・・

私たちは人間として生まれる以前は
調和と安らぎに満たされた世界におりました。
今私たちが住んでいる次元とは異なる世界です。
こちらが本当にある世界、実在界です。
私たちにはあるよう思える空間や距離や時間さえも、
実在界(あの世)には存在しません。
そこから、私たちはこの仮の世界、
地球上の一時だけの物質化された現象界に厳しい魂の
修行のために出て来ています。

実在界から現象界を見ると、
それはそれは粗悪な危険極まりない修行の場所です。
一歩踏み外せば断崖絶壁から転げ落ちる、
あるいは深い深い泥沼にはまるかもしれない。
又、あの蟻地獄そのものです。


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「垂訓」

2023-11-04 00:32:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第二章 必要なのは正しい生命観の確立

        ◆魂の修行という生命の目的を知ること◆

しかし、自分の欠点を直らないものと決め込んでいる方もおられます。
人間は不完全なのが当たり前だと信じていらっしゃいます。
赤ちゃんを見ると人間は生まれながらの天使であるとわかります。
それが成長するにつれて、心が曇ってゆき、天使失格となってしまいます。
縁ある赤ちゃんで一番早く合掌してくれた方は、
生後一か月で抱きかかえられながら
モミジのような手を合わせて綺麗に合掌してくれました。
また、生後九カ月で、
ハイハイがやっとできる赤ちゃんが綺麗に正座して合掌してくれました。
浄心庵にその写真があります。
正に小さな汚れなき仏像のようです。


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「垂訓」

2023-11-02 23:59:26 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第二章 必要なのは正しい生命観の確立

        ◆魂の修行という生命の目的を知ること◆

私たちはなんのために生まれてきたのでしょうか。
誰しもがこんな疑問をいだいたことがあるかと思います。
子供の頃になぜ自分はここにいるのかとふと思ったり、
青年期に自分の生きる道を模索して、
どんな生き方をしたらいいのかと思ったり、
また社会に出て障壁にぶつかり、このままでいいのか、
私の本当のなすべきことはなんなのかなどと悩んだりしたことは、
どなたにでも経験のあることと思います。

人生とは、人との出会いの中で展開してゆきます。
そして、あらゆる出来事を通して、悩み苦しむのです。
人と出会えば出来事が起きて来ます。
この出来事により、私たちは魂の修行をさせていただきます。
魂の修行とは、人間は人それぞれに素晴らしい面もあれば、
また素晴らしくない面もあります。
その素晴らしくない面を素晴らしくするために
この世に生まれて来ています。
自分の持っている悪い癖、欠点の修正です。
なくて七癖、あって四十八癖というほど、
人はそれぞれの心の癖を持っています。
その癖は遭遇する出来事によって引き出され、強く出て来ます。
わるく出る癖もよく出る癖もありますが、
特にわるい癖のほうは「業」と呼ばれています。


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「垂訓」

2023-11-01 23:58:21 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


           第二章 必要なのは正しい生命観の確立

              ◆心の重量と行き着く先◆

先の続き・・・

肉体にあるうちに魂の目的を知り、自らの心を綺麗にし、
自らの心を高める努力をすることによってのみ、
死後は自分の望む方向に行くことができるわけです。
己れ自身を愛することを神様は私たち一人一人に望んでおられます。
死んで自分が行くことになる所が、
苦しみの世界ではなく光に満たされた世界であるためにも、
日頃から自分の心を苦しめないように心がけることが大切です。

「火の車つくる大工はなけれども己がつくりて己が乗りゆく」のとおりに、
火の車を造って乗っているのは他ならぬ自分であり、
地獄へ行くのも自分が行くべくして
行っているということです。
これは厳然とした法則の中における人間の選択の自由ですが、
その自由も魂の度合いに応じたものです。


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「垂訓」

2023-11-01 00:52:14 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


      第二章 必要なのは正しい生命観の確立

         ◆心の重量と行き着く先◆

先の続き・・・

一定の範囲内で上のほうに風船のごとく漂っているか、
それとも砂袋ように下のほうに重く沈んでいるかの違いです。
しかし、臨終を迎え、この肉体界、現象界に
心を結びつけていた肉体の命の糸がプツンと
切れると、軽い心は自ずと上へ上へと上昇して喜びの世界へ行きます。
重い心は鉛のように垂直方向に落ちて、
苦しみの世界へ行きます。
これは自然法則と同様に私たちにとっては
逆らうことのできぬことです。

いかに厚い信仰をしても、どんな宗教に入っても、
どんなに善い事をしても、
その結果、自分の心を苦しめますと心は必ず重くなります。
下に行きたくない、上に昇りたいと言ったところで
どうしようもありません。
先に「心の重さの法則」は「この世」だけに
適用されるものではないということを述べました。
それは、こうした意味においてです。


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