第3話 優れた日本文化の文明化
先に挙げた司馬遼太郎の文明論には、
「普遍性(かりに文明)というものは一つに便利と云う要素があり、一つにはイカさなければならない。たとえばターバンはそれを共有する小地域では普遍的だが、他の地域へゆくと、便利でないし、イカしもせず、異常でさえある。」とあった。
つまり、「普遍的であってイカすものを生みだすのが文明である」というわけなのだ。イカすものとは何であろうか。
この論理は一見おかしなことのように見えなくもないが、具体的に考えると良く分かることのようだ。例えば、ある国家なり民族が活気なり繁栄なりを望んで、新たなものをその地域全体に導入しようと考えたとしよう。その際に、優れた文明であればスムースに進められるが、特定の文化であれば、いかに優れていても容易ではなかろう。そのことは、はっきりとした意思表示であっても、無意識的な流行の形であっても、大きくは変わらないように思われる。
この端的な例がソニーのウォークマン伝説の中にある。少し長くなるが、工学アカデミーの専門部会で委員の小松氏が話された内容を、ご本人の了解のもとに引用させて頂くことにする。
「メタエンジニアリングの場のあり方」、 小松、2011.12.5
ソニー「GENRYU源流」より、ウォークマン
ウォークマンのイノベーションは大きく2段階に分けられる。
・コンパクトカセットの普及
・歩きながら聴けるステレオ・ウォークマンの開発
これらの開発がMECIのサイクルに沿って進んだか否かを書かれている内容から調べてみる。
1. コンパクトカセットの普及
1) 潜在的課題、ニーズは1950~1960年代に普及していたオープンリールのテープレコーダーを使いやすくするという、メーカーならごく当たり前の発想で、一般消費者のニーズとも合致していた。
2) しかし、必要な技術の俯瞰的把握・創出、この場合は使いやすさを実現可能な「技術の選択」になるが、1958年にアメリカのRCAが磁気テープを「カートリッジ」に収めたものを考案し、それに刺激されて世界中でケースに収めた磁気テープを開発し始めた。実現するうえで技術的に致命的に困難な問題はなかったと思われる。アイデアがあれば実現は容易というべきか。しかし、オープンリール方式とは使いやすさが格段に違い、子供やお年寄りでも操作ができる大きなイノベーションにつながった。
3) 科学・技術分野の融合については詳しい記述がない。カートリッジ試作、商品化におきな技術的困難はなかったためと思われる。
4) 次の段階であるImplementationにおいて標準化というハードルがあった。今回の場合、多くのカセットが開発される中で、1963年ドイツのグルンディッヒ社からソニーに「DCインターナショナル」というカセットを規格化しようという提案があった(ソニー以外へも提案はあったと思われる)。続いて、オランダのフィリップス社より「DCインターナショナル」より少し小さい「コンパクトカセット」の提案があった。フィリップスは既に発売に踏み切っていた。ソニーとして小型という点からコンパクトカセットを選びたかったが、フィリップスは1個25円のロイヤリティを要求してきた。これは飲めないので交渉を続けついに特許の無償公開にこぎつけた(フィリップスが無償で折れた理由は不明)。
5) 標準化が終わればImplementationは完了である。カセットレコーダーは1966年ころから各社で発売され始めた。当初は音質が良くなかったので学習用に導入されたが、音質が改善されハイファイサウンドを録音再生できるまでになった。まだオープンリールの時代であった1965年の日本の磁気テープ生産は35億円であったのが、1981年にはオーディオテープだけで1,300億円になった。
2. 歩きながら聴けるステレオ・ウォークマンの開発
1) 1978年ころ、ステレオ型のカセットレコーダーは普及が進んでいたが、ポータブルタイプはまだイヤホンを使ったモノラル型のみであった。ソニーは1977年にモノラル型の小型テープレコーダー「プレスマン」を発売していた。1987年にはポータブル型のステレオ型録再機を発売し、井深は日頃から海外出張にこれを持参していたがやはり「重くてかなわない」という思いであった。そこで、海外出張を控えたある時、大賀副社長にプレスマンをステレオ再生専用機に改造してくれないかと持ちかけ、依頼を受けた事業部長は早速改造し、井深はこれが大変気に入った。帰国後、井深はそれを盛田に紹介すると盛田も気に入り早速商品化の話になった。ターゲット顧客は学生で、価格は学生に手の届く33,000円に決めた。しかし、カセットレコーダーから録音機能を取り再生専用とするコンセプトでは「絶対に売れない」との意見が大半を占めていたので井深、盛田がやろうと決めなければできない話であった。これが、Miningプロセスである。Miningがイノベーションのキーである場合は特別な感性、条件が必要とされるようだ。
2) Exploring、Convergingのプロセスでのポイントは、偶然に超軽量、小型ヘッドホンが別の部隊で開発されていたことで、歩きながらステレオを楽しむというウォークマンのコンセプトに合致した。そのほかは音質の改善など一般的な技術開発はあったものの特に致命的な問題はなかったと思われる。
3) Implementationの最初はマスコミ発表であるが、マスコミの反応は冷やかでほとんど無視され、発売当初1か月の売り上げはたった3,000台というありさまであった。そこで、営業スタッフや新入社員が山手線、銀座の歩行者天国などでデモし、通りがかった人にヘッドホンを差し出して聴いてもらった。評判は口コミで徐々に広まり、初期ロット3万台は発売翌月で売り切れた。その後は増産に次ぐ増産で、ヘッドホンステレオという新たな市場を作り出し、発売10年で累計5000万台、13年で1億台を達成した。
以上が、小松氏のレポートである。
この話の中では、イノベーションと文明に関する多くのことが凝縮されている。先ずは、イノベーションの条件である推進する組織のトップの強い意志である。これが第1の絶対条件だと思う。イノベーションを起こすためには巨大な投資が必要であり、多くの場合それに伴うリスクをヘッジする手段は無い。トップの強い意志が無かったために、優れた発明や新製品が小さな市場の場での実現に留まってしまったケースは無限にあるように思われる。
次に文化の文明化の二つの条件となる、①合理性と、②イカしている、なのだが、これが見事に反映されている。
「ソニーは1977年にモノラル型の小型テープレコーダー「プレスマン」を発売していた。1987年にはポータブル型のステレオ型録再機を発売し、井深は日頃から海外出張にこれを持参していたがやはり「重くてかなわない」という思いであった。そこで、海外出張を控えたある時、大賀副社長にプレスマンをステレオ再生専用機に改造してくれないかと持ちかけ、依頼を受けた事業部長は早速改造し、井深はこれが大変気に入った。」
のくだりである。
ポータブル型のステレオ型録再機からステレオ再生専用機への改造である。当時は、たとえ小型テープレコーダーであっても、録音機能は必須のものであるとの認識が当時の開発陣にも技術者にも強くあったようだが、再生専用機にするという合理化とそれによって容易に持ち歩きができる小型化が実現したことと、更に銀座でのデモンストレーションにより、イカシテルとの評判を得たことだろう。そこで、普遍性が生まれたのだ。司馬遼太郎の「普遍的であってイカすものを生みだすのが文明である」という定義が見事に的中していると思う次第である。
文化は、いかに優れていてもそのままでは文明化はしない。グローバル的な視野で「イカすもの」への変化をもたらすものは、優れたアイデアなのだが、ソニーの例のように個人的なセンスが大きな役割を果たすことができる。しかし、文化に「普遍性」をもたらすものは、エンジニアリングの役目であるように思える。しかも、通常の専門化されたエンジニアリングではなく、視野を人文科学や社会科学に大きく広げたエンジニアリングなのであろう。
先に挙げた司馬遼太郎の文明論には、
「普遍性(かりに文明)というものは一つに便利と云う要素があり、一つにはイカさなければならない。たとえばターバンはそれを共有する小地域では普遍的だが、他の地域へゆくと、便利でないし、イカしもせず、異常でさえある。」とあった。
つまり、「普遍的であってイカすものを生みだすのが文明である」というわけなのだ。イカすものとは何であろうか。
この論理は一見おかしなことのように見えなくもないが、具体的に考えると良く分かることのようだ。例えば、ある国家なり民族が活気なり繁栄なりを望んで、新たなものをその地域全体に導入しようと考えたとしよう。その際に、優れた文明であればスムースに進められるが、特定の文化であれば、いかに優れていても容易ではなかろう。そのことは、はっきりとした意思表示であっても、無意識的な流行の形であっても、大きくは変わらないように思われる。
この端的な例がソニーのウォークマン伝説の中にある。少し長くなるが、工学アカデミーの専門部会で委員の小松氏が話された内容を、ご本人の了解のもとに引用させて頂くことにする。
「メタエンジニアリングの場のあり方」、 小松、2011.12.5
ソニー「GENRYU源流」より、ウォークマン
ウォークマンのイノベーションは大きく2段階に分けられる。
・コンパクトカセットの普及
・歩きながら聴けるステレオ・ウォークマンの開発
これらの開発がMECIのサイクルに沿って進んだか否かを書かれている内容から調べてみる。
1. コンパクトカセットの普及
1) 潜在的課題、ニーズは1950~1960年代に普及していたオープンリールのテープレコーダーを使いやすくするという、メーカーならごく当たり前の発想で、一般消費者のニーズとも合致していた。
2) しかし、必要な技術の俯瞰的把握・創出、この場合は使いやすさを実現可能な「技術の選択」になるが、1958年にアメリカのRCAが磁気テープを「カートリッジ」に収めたものを考案し、それに刺激されて世界中でケースに収めた磁気テープを開発し始めた。実現するうえで技術的に致命的に困難な問題はなかったと思われる。アイデアがあれば実現は容易というべきか。しかし、オープンリール方式とは使いやすさが格段に違い、子供やお年寄りでも操作ができる大きなイノベーションにつながった。
3) 科学・技術分野の融合については詳しい記述がない。カートリッジ試作、商品化におきな技術的困難はなかったためと思われる。
4) 次の段階であるImplementationにおいて標準化というハードルがあった。今回の場合、多くのカセットが開発される中で、1963年ドイツのグルンディッヒ社からソニーに「DCインターナショナル」というカセットを規格化しようという提案があった(ソニー以外へも提案はあったと思われる)。続いて、オランダのフィリップス社より「DCインターナショナル」より少し小さい「コンパクトカセット」の提案があった。フィリップスは既に発売に踏み切っていた。ソニーとして小型という点からコンパクトカセットを選びたかったが、フィリップスは1個25円のロイヤリティを要求してきた。これは飲めないので交渉を続けついに特許の無償公開にこぎつけた(フィリップスが無償で折れた理由は不明)。
5) 標準化が終わればImplementationは完了である。カセットレコーダーは1966年ころから各社で発売され始めた。当初は音質が良くなかったので学習用に導入されたが、音質が改善されハイファイサウンドを録音再生できるまでになった。まだオープンリールの時代であった1965年の日本の磁気テープ生産は35億円であったのが、1981年にはオーディオテープだけで1,300億円になった。
2. 歩きながら聴けるステレオ・ウォークマンの開発
1) 1978年ころ、ステレオ型のカセットレコーダーは普及が進んでいたが、ポータブルタイプはまだイヤホンを使ったモノラル型のみであった。ソニーは1977年にモノラル型の小型テープレコーダー「プレスマン」を発売していた。1987年にはポータブル型のステレオ型録再機を発売し、井深は日頃から海外出張にこれを持参していたがやはり「重くてかなわない」という思いであった。そこで、海外出張を控えたある時、大賀副社長にプレスマンをステレオ再生専用機に改造してくれないかと持ちかけ、依頼を受けた事業部長は早速改造し、井深はこれが大変気に入った。帰国後、井深はそれを盛田に紹介すると盛田も気に入り早速商品化の話になった。ターゲット顧客は学生で、価格は学生に手の届く33,000円に決めた。しかし、カセットレコーダーから録音機能を取り再生専用とするコンセプトでは「絶対に売れない」との意見が大半を占めていたので井深、盛田がやろうと決めなければできない話であった。これが、Miningプロセスである。Miningがイノベーションのキーである場合は特別な感性、条件が必要とされるようだ。
2) Exploring、Convergingのプロセスでのポイントは、偶然に超軽量、小型ヘッドホンが別の部隊で開発されていたことで、歩きながらステレオを楽しむというウォークマンのコンセプトに合致した。そのほかは音質の改善など一般的な技術開発はあったものの特に致命的な問題はなかったと思われる。
3) Implementationの最初はマスコミ発表であるが、マスコミの反応は冷やかでほとんど無視され、発売当初1か月の売り上げはたった3,000台というありさまであった。そこで、営業スタッフや新入社員が山手線、銀座の歩行者天国などでデモし、通りがかった人にヘッドホンを差し出して聴いてもらった。評判は口コミで徐々に広まり、初期ロット3万台は発売翌月で売り切れた。その後は増産に次ぐ増産で、ヘッドホンステレオという新たな市場を作り出し、発売10年で累計5000万台、13年で1億台を達成した。
以上が、小松氏のレポートである。
この話の中では、イノベーションと文明に関する多くのことが凝縮されている。先ずは、イノベーションの条件である推進する組織のトップの強い意志である。これが第1の絶対条件だと思う。イノベーションを起こすためには巨大な投資が必要であり、多くの場合それに伴うリスクをヘッジする手段は無い。トップの強い意志が無かったために、優れた発明や新製品が小さな市場の場での実現に留まってしまったケースは無限にあるように思われる。
次に文化の文明化の二つの条件となる、①合理性と、②イカしている、なのだが、これが見事に反映されている。
「ソニーは1977年にモノラル型の小型テープレコーダー「プレスマン」を発売していた。1987年にはポータブル型のステレオ型録再機を発売し、井深は日頃から海外出張にこれを持参していたがやはり「重くてかなわない」という思いであった。そこで、海外出張を控えたある時、大賀副社長にプレスマンをステレオ再生専用機に改造してくれないかと持ちかけ、依頼を受けた事業部長は早速改造し、井深はこれが大変気に入った。」
のくだりである。
ポータブル型のステレオ型録再機からステレオ再生専用機への改造である。当時は、たとえ小型テープレコーダーであっても、録音機能は必須のものであるとの認識が当時の開発陣にも技術者にも強くあったようだが、再生専用機にするという合理化とそれによって容易に持ち歩きができる小型化が実現したことと、更に銀座でのデモンストレーションにより、イカシテルとの評判を得たことだろう。そこで、普遍性が生まれたのだ。司馬遼太郎の「普遍的であってイカすものを生みだすのが文明である」という定義が見事に的中していると思う次第である。
文化は、いかに優れていてもそのままでは文明化はしない。グローバル的な視野で「イカすもの」への変化をもたらすものは、優れたアイデアなのだが、ソニーの例のように個人的なセンスが大きな役割を果たすことができる。しかし、文化に「普遍性」をもたらすものは、エンジニアリングの役目であるように思える。しかも、通常の専門化されたエンジニアリングではなく、視野を人文科学や社会科学に大きく広げたエンジニアリングなのであろう。