書籍名;「21世紀 日本像の哲学」[2010]
著者;工藤 隆 発行所;勉誠出版 発行年、月;2010.3.20
副題は、「アミニズム系文化と近代文明の融合」
著者が、1995.5.6と2006.7.10の2回にわたって中国で講演した内容を中心に記している。彼は、東大経済学部の出身だが、日本の古代文学から古代文化、更にアジアの少数民族の研究を重ね、多くの著書を著した。
この3部作のテーマは、古事記の内容を精査すると、古代国家建設以前と以後の世界が共存していることが明確になり、それが現代日本まで引き継がれていること。更にその二重構造の精神が、今後の世界文明にとって大切なことではないかといった主張が感じられた。そしてそれを「第4の文明開化」としている。
「21世紀 日本像の哲学」の「はじめに」では、著作の意図を次のように記している。
『現代の日本文化が、明治維新以来の西欧文明の流入により高度に近代化されている部分と、縄文・弥生期以来のアミニズム・シャーマニズム・神話世界性および島国文化・ムラ社会性が色濃く継承されてきている部分という、互いに相反する方向のものの同時存在によって成り立っているからである。
西欧的近代化は合理性に向かう方向であり、アミニズム・シャーマニズム・神話世界性および島国文化・ムラ社会性の部分は反合理性に向かう部分である。このうちのアミニズム(自然界のあらゆるものに超越的・霊的なものの存在を感じとる観念・信仰)・シャーマニズム(アミニズムと神話的観念に基づく呪術体系)・神話世界(人間にかかわるすべての現象の本質を、アミニズム的な神が作り上げた秩序の枠組みの中の物語として抽象化して把握するもの)性の部分は特に、合理主義を基本とする西欧的な知性からは理解されにくい部分を持っている。したがって、西欧側の知識人がこの部分を理解できないのは当然なのだが、問題なのは、実は日本人の知識人の多くもこの部分を理解できていないことなのだ。』(pp.8)
『実は本書の内容の大筋は、私が実際に中国で行った、「天皇制と日本文化」(1995年)と「日本文化の二重構造」(2006年)という二つの講演から成っている。』(pp.11)
著者は、日本には4回の文明開化の時期があったと主張している。「第1の文明開化は、600、700年代の古代国家成立時に起きた」、「第2の文明開化は、西欧列強によって植民地化される危機感が迫る中での所謂近代化」、「第3の文明開化は、1945年の敗戦によってアメリカが強制的に与えた」とした後で、第4の文明開化は、『前の三つの文明開化とは違い、日本歴史上初めて、優勢な外国からの武力による圧力なしに、日本社会がみずからの意思で「内発的に」実現させるはずのものである。』(pp.14)
『この「第4の文明開化」では、縄文・弥生期的以来の文化伝統のうち、特にアニミズム・神話世界性の部分を、行き過ぎた西欧的近代化に抗するものとして積極的に活用するといったこともできねばならない。
ただし、このアニミズム・神話世界性の文化伝統の部分は、外部から取り入れるというよりも、もともと日本文化の伝統の中に縄文・弥生期以来存在していた「文化資質」でもある。したがって、「第4の文明開化」では、リアリズム性優位の西欧近代文明と日本伝統のエコロジー思想的なアニミズム・神話世界性の文化を融合させた、より高度な〝人間生存文化″のようなものを日本から世界に向かって発信してゆくことになるはずである。』(pp.15)
・「古代の古代」と「古代の近代」
氏は、第1の文明開化である600、700年代の古代国家成立が起きる以前の状態を、「ヤマト族」と呼ぶべき少数民族の集まりとしている。アミニズム・シャーマニズム・神話世界性および島国文化・ムラ社会である。そして、その状態は現代における中国の少数民族である、チワン(壮)族、イ(彝)族、ミャオ(苗)族などと同じ呼び方であるとしている。さらに、呼び方だけではなく、多くの伝統に同じものが残されていることを、長年にわたる現地調査から示している。そのことは、別の著書、「古事記以前」大修館書店[2011]で詳しく述べられている。
第1の文明開化で重要なことは、当時の中国国家のシステムから、必要なところのみを導入して、不必要なところは導入しなかったことだった。そして、『縄文・弥生期的なムラ段階の文化の要素を国家段階においても継承し、それをより高度な文化へと昇華させたことである。』(pp.99)
無文字文化では、重要な伝統は「うた」で伝えられていた。その文化は、古代国家が成立した後も国家・天皇家により支持され続けて、現代にいたっている。『日本人は、ある年齢に達すると俳句や短歌に関心が出てくる人がかなりいますね。これは他国には例のないことです。欧米では詩を発表するのはプロの詩人だけで、素人の詩が表に出ることはありません。ところが日本人は何かに感動するとそれを俳句や短歌にこめようとしたがる。』(pp.59)
・一神教の本格宗教
『これらアミニズム・シャーマニズム・神話世界はキリスト教やイスラム教のような本格宗教とは大きな違いがある。本格宗教は、教祖がいて、教義が体系的に整えられていて、それを文字で記した経典(「聖書」「コーラン」など)があり、信者たちの組織である教団があり、教会・モスクなど教団の建物があり、国の違いや民族の違いを越えて布教活動を行い、しかも唯一の最高神を頂点に戴く一神教であるという特徴を持っている。』(pp.33)
一方で、アミニズム・シャーマニズム・神話世界では、たとえば神道では山・岩・木などの自然物が神体であり、外の世界に対する布教活動も行わず、多神教である。
『神話世界には“生活実態と密着したリアリズム性”があり、本格宗教が入ってきても自分たちの日々の生活にとって何か役に立つところがあればその部分に特化するような方向で取り入れるという柔軟性があるのである。』(pp.136)
・「自然との共生と節度ある欲望」vs.「自由市場経済の自然破壊と節度なき欲望」
『現代日本には、少数民族社会の原型生存型文化的要素と西欧的な近代文化が同居している。原型生存型文化ではアミニズム・シャーマニズム・神話世界的文化が基本になっているので、西欧的な近代文化の合理主義からみれば、両者は正反対の方向のものだということになる。』(pp.44)
・短歌と天皇文化は連続している
『「歌会始」は、それが、「天皇制国家思想の浸透、天皇への忠誠心を助長させるために果たしていた役割は、時代によって若干の濃淡はあっても、決して見逃してはならない重要なものであった。(中略)
短歌の源泉は日本古代文化のムラ段階の歌文化にあったのだが、それを「短歌文化」として洗練させたのは天皇宮廷であった。』(pp.166)
『私は、天皇制の政治体制としての側面と、天皇制の文化的側面とを区別することが必要だと考えている。』(pp.176)
・「万世一系」の系譜は中国少数民族の「父子連名」と同じ構造
『たとえば、ハニ(吧尼)族やイ(彝)族には「父子連名」という系譜があって、各家の戸主は、その家の代々の戸主の名前をすべて覚えていて、古いほうから順番に、いま現在の自分までを口頭で語る。その最初の三代までは神様だったとのことだ。』(pp.180)
日本人が、原型生存型文化を、その時々に応じて変化を加えて、現代まで伝承し続けたかについては、中国の少数民族の現代風俗から、多くの例証をしている。例えば、新嘗祭と大嘗祭につては、女性の巫女から、天皇が行う行事へと変更が行われた。『縄文末期から弥生初期のような(古代の古代)の社会では、稲にまつわる呪術は一種の高度な農業技術として受け止められたに違いない。
したがって、出産能力を持つ女性が主役になる稲収穫儀式は、すでに弥生期のヤマト族の社会にも存在していたに違いない。それらの残像が、「ニイナメ」の主役を女性が務める「古事記」「日本書記」の神話伝承や「万葉集」の東歌として残ったのであろう。』(pp.188)
・リアリズム文化と反リアリズム文化の共生をめざして
『原型生存型文化の伝統を引く神道においてさえ生け贄文化は否定され、血のケガレとして忌避されるようになった。このようにして一般の日本人は、動物を殺し、それを食することで人間は活かされているというリアリズム感覚を失って、明治の文明開化までおよそ1300年を過ごしてきたのである。』pp.184)
『西欧的知性の側が、合理主義と一神教を絶対と考える思考に固執するならば、両者の融合は不可能だろう。しかし、日本社会は、少なくとも明治維新以来の、両者のバランスをとろうとする試行錯誤の140年余の経験を持っている。もっと言えば、(古代の近代化)の文明開化以来の1400年余の経験を持っている。日本の知識人は特に、そのような歴史的背景を可能にする新たな知性の模索において世界の最先端を行くことができるはずなのである。』(pp.217)
さらに、安田喜憲「一神教の闇―アニミズムの復権」(筑摩書房、2006)の8つの提言の言葉を引用している。
美と慈悲に満ち溢れた「生命文明の構築」
アニミズムによる「島国性の再評価」
アニミズムによる「女性原理の復権」
アニミズムによる「紛争の回避」
アニミズムによる「アニミズム的応戦」
「アニミズム連合」の構築
「全球アニミズム化運動」の展開
アニミズムの心を核にした「ハイテク・アニミズム国家」の構築
かなり急進的な項目ばかりと思うのだが、最終目的に向かって遅々として進むための留意事項と考えるべき項目がいくつか含まれていると思う。
著者;工藤 隆 発行所;勉誠出版 発行年、月;2010.3.20
副題は、「アミニズム系文化と近代文明の融合」
著者が、1995.5.6と2006.7.10の2回にわたって中国で講演した内容を中心に記している。彼は、東大経済学部の出身だが、日本の古代文学から古代文化、更にアジアの少数民族の研究を重ね、多くの著書を著した。
この3部作のテーマは、古事記の内容を精査すると、古代国家建設以前と以後の世界が共存していることが明確になり、それが現代日本まで引き継がれていること。更にその二重構造の精神が、今後の世界文明にとって大切なことではないかといった主張が感じられた。そしてそれを「第4の文明開化」としている。
「21世紀 日本像の哲学」の「はじめに」では、著作の意図を次のように記している。
『現代の日本文化が、明治維新以来の西欧文明の流入により高度に近代化されている部分と、縄文・弥生期以来のアミニズム・シャーマニズム・神話世界性および島国文化・ムラ社会性が色濃く継承されてきている部分という、互いに相反する方向のものの同時存在によって成り立っているからである。
西欧的近代化は合理性に向かう方向であり、アミニズム・シャーマニズム・神話世界性および島国文化・ムラ社会性の部分は反合理性に向かう部分である。このうちのアミニズム(自然界のあらゆるものに超越的・霊的なものの存在を感じとる観念・信仰)・シャーマニズム(アミニズムと神話的観念に基づく呪術体系)・神話世界(人間にかかわるすべての現象の本質を、アミニズム的な神が作り上げた秩序の枠組みの中の物語として抽象化して把握するもの)性の部分は特に、合理主義を基本とする西欧的な知性からは理解されにくい部分を持っている。したがって、西欧側の知識人がこの部分を理解できないのは当然なのだが、問題なのは、実は日本人の知識人の多くもこの部分を理解できていないことなのだ。』(pp.8)
『実は本書の内容の大筋は、私が実際に中国で行った、「天皇制と日本文化」(1995年)と「日本文化の二重構造」(2006年)という二つの講演から成っている。』(pp.11)
著者は、日本には4回の文明開化の時期があったと主張している。「第1の文明開化は、600、700年代の古代国家成立時に起きた」、「第2の文明開化は、西欧列強によって植民地化される危機感が迫る中での所謂近代化」、「第3の文明開化は、1945年の敗戦によってアメリカが強制的に与えた」とした後で、第4の文明開化は、『前の三つの文明開化とは違い、日本歴史上初めて、優勢な外国からの武力による圧力なしに、日本社会がみずからの意思で「内発的に」実現させるはずのものである。』(pp.14)
『この「第4の文明開化」では、縄文・弥生期的以来の文化伝統のうち、特にアニミズム・神話世界性の部分を、行き過ぎた西欧的近代化に抗するものとして積極的に活用するといったこともできねばならない。
ただし、このアニミズム・神話世界性の文化伝統の部分は、外部から取り入れるというよりも、もともと日本文化の伝統の中に縄文・弥生期以来存在していた「文化資質」でもある。したがって、「第4の文明開化」では、リアリズム性優位の西欧近代文明と日本伝統のエコロジー思想的なアニミズム・神話世界性の文化を融合させた、より高度な〝人間生存文化″のようなものを日本から世界に向かって発信してゆくことになるはずである。』(pp.15)
・「古代の古代」と「古代の近代」
氏は、第1の文明開化である600、700年代の古代国家成立が起きる以前の状態を、「ヤマト族」と呼ぶべき少数民族の集まりとしている。アミニズム・シャーマニズム・神話世界性および島国文化・ムラ社会である。そして、その状態は現代における中国の少数民族である、チワン(壮)族、イ(彝)族、ミャオ(苗)族などと同じ呼び方であるとしている。さらに、呼び方だけではなく、多くの伝統に同じものが残されていることを、長年にわたる現地調査から示している。そのことは、別の著書、「古事記以前」大修館書店[2011]で詳しく述べられている。
第1の文明開化で重要なことは、当時の中国国家のシステムから、必要なところのみを導入して、不必要なところは導入しなかったことだった。そして、『縄文・弥生期的なムラ段階の文化の要素を国家段階においても継承し、それをより高度な文化へと昇華させたことである。』(pp.99)
無文字文化では、重要な伝統は「うた」で伝えられていた。その文化は、古代国家が成立した後も国家・天皇家により支持され続けて、現代にいたっている。『日本人は、ある年齢に達すると俳句や短歌に関心が出てくる人がかなりいますね。これは他国には例のないことです。欧米では詩を発表するのはプロの詩人だけで、素人の詩が表に出ることはありません。ところが日本人は何かに感動するとそれを俳句や短歌にこめようとしたがる。』(pp.59)
・一神教の本格宗教
『これらアミニズム・シャーマニズム・神話世界はキリスト教やイスラム教のような本格宗教とは大きな違いがある。本格宗教は、教祖がいて、教義が体系的に整えられていて、それを文字で記した経典(「聖書」「コーラン」など)があり、信者たちの組織である教団があり、教会・モスクなど教団の建物があり、国の違いや民族の違いを越えて布教活動を行い、しかも唯一の最高神を頂点に戴く一神教であるという特徴を持っている。』(pp.33)
一方で、アミニズム・シャーマニズム・神話世界では、たとえば神道では山・岩・木などの自然物が神体であり、外の世界に対する布教活動も行わず、多神教である。
『神話世界には“生活実態と密着したリアリズム性”があり、本格宗教が入ってきても自分たちの日々の生活にとって何か役に立つところがあればその部分に特化するような方向で取り入れるという柔軟性があるのである。』(pp.136)
・「自然との共生と節度ある欲望」vs.「自由市場経済の自然破壊と節度なき欲望」
『現代日本には、少数民族社会の原型生存型文化的要素と西欧的な近代文化が同居している。原型生存型文化ではアミニズム・シャーマニズム・神話世界的文化が基本になっているので、西欧的な近代文化の合理主義からみれば、両者は正反対の方向のものだということになる。』(pp.44)
・短歌と天皇文化は連続している
『「歌会始」は、それが、「天皇制国家思想の浸透、天皇への忠誠心を助長させるために果たしていた役割は、時代によって若干の濃淡はあっても、決して見逃してはならない重要なものであった。(中略)
短歌の源泉は日本古代文化のムラ段階の歌文化にあったのだが、それを「短歌文化」として洗練させたのは天皇宮廷であった。』(pp.166)
『私は、天皇制の政治体制としての側面と、天皇制の文化的側面とを区別することが必要だと考えている。』(pp.176)
・「万世一系」の系譜は中国少数民族の「父子連名」と同じ構造
『たとえば、ハニ(吧尼)族やイ(彝)族には「父子連名」という系譜があって、各家の戸主は、その家の代々の戸主の名前をすべて覚えていて、古いほうから順番に、いま現在の自分までを口頭で語る。その最初の三代までは神様だったとのことだ。』(pp.180)
日本人が、原型生存型文化を、その時々に応じて変化を加えて、現代まで伝承し続けたかについては、中国の少数民族の現代風俗から、多くの例証をしている。例えば、新嘗祭と大嘗祭につては、女性の巫女から、天皇が行う行事へと変更が行われた。『縄文末期から弥生初期のような(古代の古代)の社会では、稲にまつわる呪術は一種の高度な農業技術として受け止められたに違いない。
したがって、出産能力を持つ女性が主役になる稲収穫儀式は、すでに弥生期のヤマト族の社会にも存在していたに違いない。それらの残像が、「ニイナメ」の主役を女性が務める「古事記」「日本書記」の神話伝承や「万葉集」の東歌として残ったのであろう。』(pp.188)
・リアリズム文化と反リアリズム文化の共生をめざして
『原型生存型文化の伝統を引く神道においてさえ生け贄文化は否定され、血のケガレとして忌避されるようになった。このようにして一般の日本人は、動物を殺し、それを食することで人間は活かされているというリアリズム感覚を失って、明治の文明開化までおよそ1300年を過ごしてきたのである。』pp.184)
『西欧的知性の側が、合理主義と一神教を絶対と考える思考に固執するならば、両者の融合は不可能だろう。しかし、日本社会は、少なくとも明治維新以来の、両者のバランスをとろうとする試行錯誤の140年余の経験を持っている。もっと言えば、(古代の近代化)の文明開化以来の1400年余の経験を持っている。日本の知識人は特に、そのような歴史的背景を可能にする新たな知性の模索において世界の最先端を行くことができるはずなのである。』(pp.217)
さらに、安田喜憲「一神教の闇―アニミズムの復権」(筑摩書房、2006)の8つの提言の言葉を引用している。
美と慈悲に満ち溢れた「生命文明の構築」
アニミズムによる「島国性の再評価」
アニミズムによる「女性原理の復権」
アニミズムによる「紛争の回避」
アニミズムによる「アニミズム的応戦」
「アニミズム連合」の構築
「全球アニミズム化運動」の展開
アニミズムの心を核にした「ハイテク・アニミズム国家」の構築
かなり急進的な項目ばかりと思うのだが、最終目的に向かって遅々として進むための留意事項と考えるべき項目がいくつか含まれていると思う。