生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(197) 未来探求の方法

2021年11月27日 07時56分33秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(197)
TITLE: 未来探求の方法

 東京大学未来ビジョン研究センターが「未来探求2050」日経BP[2021]を纏めた。



 副題は「東大30人の知性が読み解く世界」で、文字通り30人の東大教授たちが、それぞれの専門分野における、今後の50年間の進化の様子を探っている。SDGsの宣言以来、未来への関心がより高まったとしての企画なのだが、現代の専門家による科学の分断を象徴しているようにも感じた。つまり、専門分野に固執して、社会全体を哲学的な視点で見ることがない。現代の知性は、ハイデガーが第2次世界大戦直後に、あらゆる機会を捉えて主張したように、専門頭脳と技術がとめどもなく進んでゆく世界なのだ。従って、そのような分野に係わる者は、先ずは哲学的な考察をしなければならない。それなしでは、人類がとんでもない方向に進む危険性を排除することはできない。このことは、この書の冒頭にも述べられているのだが、各論には反映されていない。

 冒頭には「知識経済」という表題が付いている。知識集約型社会が加速して、高度な技術が、急激に安価になり、新たなビジネスとして発展してゆくというわけである。ムーアの法則を例にとって、直近では、ヒトの遺伝子情報に関わることとして、「ゲノム当たりのコスト」が表示されている(P13 図1)2001年に10億ドルだったコストが、2019年には100ドルを切った。つまり、ゲノム解析がビジネスになった。
 
 次の「未来の考え方」については、データに乏しく、不確定要素が多い中で、いかに正確に予測ができるかを述べようとしている。そして、『未来像についても、倫理的、社会的、政治的に注意深く見つめる必要があります。』(p.17)で結んでいる。しかし、30人の各論で、この3つの総てについて「注意深く見つめる」記述は、見当たらない。つまり、メタ視点ではない。
 
 次の「広い未来像を描くには」では、メタ視点の代わりに「未来錐(future core)」というプロセスを示している。6つの「P」がそれである。
Projected;現在からの延長
Probable;起こる可能性が高い
Plausible;起こりうる
Possible;起こりうる可能性が否定できない
Preposterous;不可能
Preferable;望ましい
である。そこから、重要なもの二つづつを選び、「シナリオ分析」を進めてゆく方法を推奨している。シナリオ分析は第2次世界大戦で、米軍が用いた研究手法が発展したものだが、30人がそれを使った解析結果は、示されていない。30項目についての内容は省略するが、それぞれでの最先端の知識が集約されているのだが、我田引水の感を否めなかった。「Preferable;望ましい」の評価基準は示されていないが、この視点は、他の5つとは全く異なる視点で、最重要と思う。自身が示す方向が、次の世代の社会にとって「Preferable;望ましい」かどうかが、明確には示されていない。

 このような、一見纏まっているように見えるが、実はバラバラな現象は、東京大学の特徴を表しているように思う。それは、かつての私の経験が、そのように考えさせるのだ。
 
 私は、若いころに6年間機械系3学科の非常勤講師を務め、3年生の授業を行った。「熱エネルギー機械」という授業で、私の担当は4日間、他に原子力、鉄道などを同じ研究室のOBが担当した。その後、その縁もあって、COE(Center of Excellence)という20人程度のプロジェクトに数年間参加した。異分野の教授と社会人OBが、一つのテーマを掘り下げるもので、このグループは、工学教育の大学院制度の改革案の作成だった。当時は日本経済の興隆期で、多くの企業が若くて優秀な博士をもとめていたが、学部4年、修士2年、博士課程3年では歳をとりすぎる。せめて、大学院3年間で博士がとれないか、という試みであった。数年後に試案が纏まったが、半年後のリーダーの教授(実は、私の高校、学部、研究室の後輩)の言葉は、「東大というところは、優れた改革案なら3分の1の教授は賛成してくれる。しかし、3分の1は反対で、残りの3分の1は無関心なので、結局、何も決められずに曖昧のまま終わってしまう」だった。この案も、「運用次第で、今のままで努力すれば可能だ」との結論だったと聞いた。
 
 つまり、講座としての独立性が強すぎて、他からの干渉を極度に嫌う文化が受け継がれているということのように思われる。この書からも、このことを感じた。そのWhyを考えると、世界はともかく、少なくとも自己の分野では国内一を保たなければならないという観念からなのだろうか。