パンナム機の墜落事故
先日、『PAN AM/パンナム』というTVドラマを見た。古いドラマと思ったが、米国のABC系列で2011年9月25日から2012年2月19日まで放送された全14話のシリーズだそうだ。そこで、昔を思い出した。
それは、1988年12月21日に起きたスコットランド上空での爆発による墜落事故だ。当時はエンジンの共同開発で欧米への出張が頻繁だった時期で、大西洋の横断も年に数回あったので他人事ではなかったし、何よりもエンジンの安全性が気にかかった。出発日の曜日や乗り継ぎの関係で、東京発でもJALを選ぶことはむしろ稀であり、色々なエアラインを経験した。当時の外国のエアラインのマイレッジ・サービスは国内のエアラインにくらべてメリットが大きかったことも影響していたと思う。最大の恩恵はBAで、色々なゴルフ小物を集め終わった後のWedge WoodのStrawberryシリーズは、毎回一品ずつ集めるうちにディナーセット一式が揃ってしまった。中には日本では販売されていない大型のサラバボウルなどもある。
TVドラマの中のパンナムのパイロットとスチュワーデスは、いずれもエリート気分で外交の場にも顔を出すような設定で、諜報員にまでされており、結構楽しめた。Wikipediaには、人物についてこのような記述がある。
『ローラ・キャメロン(マーゴット・ロビー)
新人スチュワーデス。英語のほか、フランス語、イタリア語が話せる。結婚式当日、「まだ自分の人生を生きていない」という現実にいたたまれなくなり家出。姉ケイトと同じスチュワーデスになる決心をする。初フライト寸前、『ライフ』誌の表紙を飾る。当初はケイトと同居していたが、姉の過保護さに辟易し、マギーのアパートに転がり込む。保守的だと思われていたが、『ライフ』誌のフォローアップ取材に来たカメラマンにプライベートでヌード写真を撮ってもらったり、黒人男性とデートしたりという(当時としては)革新的な面も見せる。テッドにプレゼントされたカメラで自らも写真を撮るようになるが、そのためにソビエト連邦渡航時にはスパイ容疑で逮捕されてしまう。
ケイト・キャメロン(ケリ・ガーナー)
経験豊富なスチュワーデス。英語とイタリア語を含む3か国語が堪能。ブリジット(後述)の後継者としてCIAのスパイにスカウトされる。スパイ活動については妹ローラにも明かせないため、渡航先でしばしば行き違いが起こる。ニコ・ロンザ(後述)の一件の後、スパイを辞めたいと申し出る。最後の任務は、MI6とCIAのエージェント・リストの密売を阻止することだったが、その際にロジャー・アンダーソン(後述)を救ったのがきっかけで自分のスパイとしての才能に気付き、結局、スパイ活動を 継続することにする。』
そんなとき偶然に、図書館で「パン・アメリカン航空物語」(イカロス出版[2010])という本が目に入り、読み始めた。副題は、「栄光の航空王国を支えた日本人たちの記録」とあり、全盛期から衰退までの日本人従業員の話が主だったが、くだんの事故についても詳細が記されている。
『航空機メーカーが技術力を振り絞って作り出した新しい航空機を、パン・アメリカン航空はいつも率先して導入し、改良しながら育てていっていたし、逆に航空機メーカーを指導して新しい画期的な新型機を開発させた実績も少なくない。』(pp.11)
B747ジャンボも、パン・アメリカンがBoeingを説得して作らせたとあるが、同時にそのような巨人機がパン・アメリカンの首を絞めることになった、とも書かれている。
くだんの事故の影響に関する記述は次のようになっている。
『1988年には長年誇りとしてきた世界航空機網のうち、ドル箱路線と言われたもっとも大事な太平洋路線の運航権をアメリカの大手国内航空会社ユナイテッド・エアラインズに売却することを余儀なくされた。これにより、一時的には何とか生き残りを図ったものの、1988年12月にはさらにこれに追い討ちをかけるようにスコットランドのロッカビー上空でテロリストによる爆発墜落事故が発生、ついに再起不能な大打撃を蒙ってしまった。』(pp.13)
この時のフライトの中身と事故の詳細については、pp.294以降に具体的に記されている。
パンナムの衰退の原因は、航空自由化政策とされており、パンナムの体質が自由競争の場では負けざるを得なかったとある。パンナムビルやインターコンチネンタル・ホテルチェーンの売却も焼け石に水だったようだ。(蛇足;インターコンチネンタル・ホテルチェーンもユナイテッド航空に身売りしたのであろうか。ユナイテッドの特典は、無料航空券と世界中のインターコンチの半額割引であり、London, Washington, Bangkokなどでお世話になった)
余談だが、懐かしい話も記されている。大相撲で、大きなパンナムのトロフィーを優勝者に渡したD.ジョーンズ氏の話だ。
『彼はまた、外国メディアに対しては英語で大相撲の面白さや伝統的しきたりの意義を説き、初の外国人力士だった高見山をことのほか可愛がって後援し、彼が初めて十両に昇進した時には、特別にデザインされたパンナムの化粧まわしを贈呈したことは、・・・。』(pp.256)
このトロフィーは、現在も両国国技館に展示されている、とある。
パンナムの破たんは、リーマンブラザーズほどではなかったが、それに匹敵するエアラインは現れていない。昨今の新型航空機の開発には、数社のエアラインが参加する傾向にあるが、やはり時代をリードする確固たる文化とその自覚を持ったエアラインがリードしてもらいたいものだと思ってしまう。世界の隅々まで飛び回る大型の旅客機は、ハードとソフトの両面での現代文明の象徴なのであるから。
先日、『PAN AM/パンナム』というTVドラマを見た。古いドラマと思ったが、米国のABC系列で2011年9月25日から2012年2月19日まで放送された全14話のシリーズだそうだ。そこで、昔を思い出した。
それは、1988年12月21日に起きたスコットランド上空での爆発による墜落事故だ。当時はエンジンの共同開発で欧米への出張が頻繁だった時期で、大西洋の横断も年に数回あったので他人事ではなかったし、何よりもエンジンの安全性が気にかかった。出発日の曜日や乗り継ぎの関係で、東京発でもJALを選ぶことはむしろ稀であり、色々なエアラインを経験した。当時の外国のエアラインのマイレッジ・サービスは国内のエアラインにくらべてメリットが大きかったことも影響していたと思う。最大の恩恵はBAで、色々なゴルフ小物を集め終わった後のWedge WoodのStrawberryシリーズは、毎回一品ずつ集めるうちにディナーセット一式が揃ってしまった。中には日本では販売されていない大型のサラバボウルなどもある。
TVドラマの中のパンナムのパイロットとスチュワーデスは、いずれもエリート気分で外交の場にも顔を出すような設定で、諜報員にまでされており、結構楽しめた。Wikipediaには、人物についてこのような記述がある。
『ローラ・キャメロン(マーゴット・ロビー)
新人スチュワーデス。英語のほか、フランス語、イタリア語が話せる。結婚式当日、「まだ自分の人生を生きていない」という現実にいたたまれなくなり家出。姉ケイトと同じスチュワーデスになる決心をする。初フライト寸前、『ライフ』誌の表紙を飾る。当初はケイトと同居していたが、姉の過保護さに辟易し、マギーのアパートに転がり込む。保守的だと思われていたが、『ライフ』誌のフォローアップ取材に来たカメラマンにプライベートでヌード写真を撮ってもらったり、黒人男性とデートしたりという(当時としては)革新的な面も見せる。テッドにプレゼントされたカメラで自らも写真を撮るようになるが、そのためにソビエト連邦渡航時にはスパイ容疑で逮捕されてしまう。
ケイト・キャメロン(ケリ・ガーナー)
経験豊富なスチュワーデス。英語とイタリア語を含む3か国語が堪能。ブリジット(後述)の後継者としてCIAのスパイにスカウトされる。スパイ活動については妹ローラにも明かせないため、渡航先でしばしば行き違いが起こる。ニコ・ロンザ(後述)の一件の後、スパイを辞めたいと申し出る。最後の任務は、MI6とCIAのエージェント・リストの密売を阻止することだったが、その際にロジャー・アンダーソン(後述)を救ったのがきっかけで自分のスパイとしての才能に気付き、結局、スパイ活動を 継続することにする。』
そんなとき偶然に、図書館で「パン・アメリカン航空物語」(イカロス出版[2010])という本が目に入り、読み始めた。副題は、「栄光の航空王国を支えた日本人たちの記録」とあり、全盛期から衰退までの日本人従業員の話が主だったが、くだんの事故についても詳細が記されている。
『航空機メーカーが技術力を振り絞って作り出した新しい航空機を、パン・アメリカン航空はいつも率先して導入し、改良しながら育てていっていたし、逆に航空機メーカーを指導して新しい画期的な新型機を開発させた実績も少なくない。』(pp.11)
B747ジャンボも、パン・アメリカンがBoeingを説得して作らせたとあるが、同時にそのような巨人機がパン・アメリカンの首を絞めることになった、とも書かれている。
くだんの事故の影響に関する記述は次のようになっている。
『1988年には長年誇りとしてきた世界航空機網のうち、ドル箱路線と言われたもっとも大事な太平洋路線の運航権をアメリカの大手国内航空会社ユナイテッド・エアラインズに売却することを余儀なくされた。これにより、一時的には何とか生き残りを図ったものの、1988年12月にはさらにこれに追い討ちをかけるようにスコットランドのロッカビー上空でテロリストによる爆発墜落事故が発生、ついに再起不能な大打撃を蒙ってしまった。』(pp.13)
この時のフライトの中身と事故の詳細については、pp.294以降に具体的に記されている。
パンナムの衰退の原因は、航空自由化政策とされており、パンナムの体質が自由競争の場では負けざるを得なかったとある。パンナムビルやインターコンチネンタル・ホテルチェーンの売却も焼け石に水だったようだ。(蛇足;インターコンチネンタル・ホテルチェーンもユナイテッド航空に身売りしたのであろうか。ユナイテッドの特典は、無料航空券と世界中のインターコンチの半額割引であり、London, Washington, Bangkokなどでお世話になった)
余談だが、懐かしい話も記されている。大相撲で、大きなパンナムのトロフィーを優勝者に渡したD.ジョーンズ氏の話だ。
『彼はまた、外国メディアに対しては英語で大相撲の面白さや伝統的しきたりの意義を説き、初の外国人力士だった高見山をことのほか可愛がって後援し、彼が初めて十両に昇進した時には、特別にデザインされたパンナムの化粧まわしを贈呈したことは、・・・。』(pp.256)
このトロフィーは、現在も両国国技館に展示されている、とある。
パンナムの破たんは、リーマンブラザーズほどではなかったが、それに匹敵するエアラインは現れていない。昨今の新型航空機の開発には、数社のエアラインが参加する傾向にあるが、やはり時代をリードする確固たる文化とその自覚を持ったエアラインがリードしてもらいたいものだと思ってしまう。世界の隅々まで飛び回る大型の旅客機は、ハードとソフトの両面での現代文明の象徴なのであるから。
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