生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

その場考学との徘徊(29)北肥後4泊5日の路線バスの旅(その6)

2017年11月24日 10時09分05秒 | その場考学との徘徊
題名;北肥後4泊5日の路線バスの旅(その6)
場所;菊池(1)  年月日;H29.11.2

テーマ;装飾古墳      作成日;H29.11.18 アップロード日;H29.11.24

12:39 昨日と同じ山鹿バスセンターの④乗り場から、菊池に向かって出発。相変わらずの貸し切りバス。
バス路線は、ひろい国道や県道を通るのはごく一部。すぐに細い横道に入り、小さな内の細い道をグネグネと走る。やはり、なが~い一人旅だ。しかし、細い田舎のの路地を曲がりくねっては走るのは楽しい。これも、レンタカーではあまりやらないことだ。



13:05 松尾神社
途中で、時間調整のため停車。横の神社が素敵だったので、カメラを構えると、運転手がバスのドアを開けてくれて、「ゆっくりと写真を撮ってください」と。路線バスは、スローライフだ。




13:30 桜が丘住宅前という停留所で下車。そのすぐ手前に「清流荘」の看板があった。目の前は、珍しくコンビニだった。バスの運ちゃんが「コンビニの前の停留所ですね」といっていたのに、ようやく納得。ここが今夜の宿だ。
 
13:35 チェックインには時間があるので、荷物を預けて「歩いて行ける観光地」を訪ねた。おかみは、「近くに物産館があるが、ほかには特にない」とのつれない返事。東京から、わざわざ路線バスで物産館を見に来たと思うのだろうか。

菊池と山鹿は、地図で見るとほぼ同じだが、山鹿は交通量も多く、活気に満ちていた。(玉三郎の公演中だけかもしれないが?)一方の菊池は、さびれた感がした。一つの市にまとまってもよいと思うのだが、お互いに伝統文化を誇っているので、そうはいかないのだろう。

すぐに、宿を出て物産館がある街とは反対方向に向かった。街はずれなので、すぐに畑に出る。川が流れており、きれいな石の橋と滝が見える。



なぜ、ここが歩いて行ける観光地ではないのか、不思議。「名勝・遺跡、xxと眼鏡橋」との説明の看板もあり、名所の一つのようだ。






ゆっくりと写真を撮り、一つ手前のバス停を目指した。そこは、多くのしゃちほこ瓦を誇示する大きな住宅が何軒も固まって見えたところだ。




どこの家も人気が感じられなかったが、1件だけ庭のほうから大声で話している人がいた。
中へ入ると、老人が二人縁側で話をしている。一人は、背広にネクタイだ。



話しかけると、「そんなに遠くちゃきこえないよ。もっと入ってきなさい」という。ここは、30年ほど前に上流で作られた「竜門ダム」からの移住者が集まったところだそうで、一軒あたり数億円の立ち退き料をもらった。そして、当時の村会議員が同じ境遇の日本全国の移住先を訪ねて、どのような移住が将来にわたって幸せかを調べた。訪問者は、「まだ、たっぷりお金を思っているから、金をせびりに来た」などと軽口をたたいている。


「東京から観光に来た。歴史に興味がある」というと、「これから菊池神社を案内しよう」とさっさとトヨペットクラウンに乗り込んでしまった。話の途中だが、素早い動きだ。


菊地神社へは、裏道を通ってすぐに到着。巫女さんに「親戚が来たから、ちょっと宝物館を案内する」とすべてフリーパス。胸のバッチを聞くと「親の代から伝わる、菊池一族の記章」だそうだ。彼の親の代までは、全国組織が活発だったそうだ。いまでも年一回の集会はあるが、若い人の興味はほとんどなくなっていると、嘆いていた。




彼のいろいろな話の中で、「菊池千本槍」の話は面白かった。建武の中興当時の話で、武器が足りずに手ごろな竹を切って、短刀をその先に付けて、インスタント薙刀を千本作った。従って、長さも先端の刃もバラバラだ。しかし、短刀だったので、切れ味は抜群だったと思う。

生まれは同じ戌年で、彼は12月生まれだった。3日続きの、奇跡の出会いだった。これらすべては、レンタカーでは味わうことのできない路線バスのご利益なのだ。

15:50 ここも終始貸し切りの広い露天風呂でやっと一服。かなりくたびれた一日だった。
16:20-40 コンビニまで散歩。翌朝の市の中心部へのバスの時刻を確認。
10:17,11:37,13:17と、このあたりとしては本数がある。しかし、初発の10時過ぎまでは足止めだ。

旅館の一番奥の部屋なので、宴会の声はもちろん、物音や人の気配は一切ない。夕食後は静かな夜を過ごすことができた。本日の歩数 13925歩




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