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その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(44) 「井戸尻」KMB3384

2017年09月08日 14時41分28秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(44)       
                                                            
TITLE:「井戸尻」KMB3384
書籍名;「井戸尻 第8集」[2006] 

編集;井戸尻考古館 発行所;富士見町井戸尻考古館   発行日;2006.2.1
初回作成年月日;H29.9.2 最終改定日;H29.9.7
引用先;文化の文明化のプロセス  

 講談社から「日本の原始美術」シリーズが発行され、「土偶」と「縄文土器」の詳細が語られたのは1979年。それから30年近くが経過している。その間の建設ラッシュにより縄文遺跡の遺物の量は急激に拡大し、研究も盛んになった。この「井戸尻 第8集」は、その間の集大成のような位置づけに思われる。





 井戸尻遺跡には大賀蓮の池があり、古代米の収穫期には縄文祭りが行われるので、何度も訪れたことがある。今回は、ある著書で重要視された文様である頭に∞のしるしを付けた特殊な土偶の実物を見るために、考古館の内部をじっくりと見学し、帰りがけにこの書を購入した。
 
 井戸尻遺跡群は、塩尻・伊那谷・諏訪湖周辺から甲府盆地の全体に至る広大な遺跡群で、井戸尻文化の名前もある、およそ5000~4000前の縄文中期を中心とする遺跡群のようだ。
1000年間が13の時代区分に分けられて、それぞれに名前(例えば、九兵衛尾根Ⅰ,Ⅱなど)が付けられている。この書は、その間の700年間に栄えた220の遺跡を対象に、生活用具から始まり、土器・土偶、集落のすがたなどが詳しく述べられている。中でも、縄文土器の解析は詳しい。最大の特徴は、様々な土器を種類分けして、それぞれの用途と文様を特定したことだ。縄文土器は、決して作者の気まぐれで形や文様がつくられたものではない。
 平和で安定した生活を長期間営む民族集団の700年間の文明的な進化は、ゆっくりとはしているが、着実に正しい方向に向かっていると考えられる。

 

『食を担う生活用具である土器は、いくつかの器種によって構成されている。井戸尻文化の主要な器種は、深鉢・浅鉢・有孔鍔付土器であり、どれにも台のつく場合がある。これに数は少ないが鉢と椀が加わる。また、藤内期からは香炉型土器が登場する。
 
たいていの深鉢は煮炊きに用いられ、浅鉢は粉を練って団子や餅、しとぎの類をつくり、またそれらを盛る器、有孔鍔付土器は酒造器だとみられる。すなわち、折々の祭りには雑穀の酒を醸し、団子や餅をつくって神人共に食したことがうかがえる。作物栽培に依拠し
た食文化の体系は、こうした器種構成に具現されている。』(pp.23)
 
・深鉢
 『15種類以上の形式が数えられる。食物ごとに定められた器として、または料理方法により使い分けられたり、一年を通じての様々な祭りに応じて、使い分けられていたことだろう。』(pp.24)
現代日本人が、日常的に食事のたびにさまざまな形の器や鉢を使うのは、ここに起源があるのかもしれない。土器は金属器に比べて、圧倒的に形の変化や造形が自由であり、そのような変化を楽しむ文化が生まれたのであろう。

・蒸器形深鉢
 『腰がキュッと括れた独特の形をしている。井戸尻期に大流行した器種である。この括れに竹などを編んだサナを置き、団子や芋などを蒸したと考えられる。蒸気を逃がさないための蓋を受けられるよう、口縁が外傾気味に作られている。蓋は、木の皮、あるいは草を編んだものらしい。』(pp.25)
 数万点にも及ぶ土器が発掘され、年代づけが行われると、多くの実例からこのようなことまで分かってきたのである。

・有孔鍔付土器
『数ある土器のなかでもことに精緻につくられ、磨き込まれた器膚は黒漆と赤色顔料で彩られている。小孔にはヤマドリの羽を挿したらしい。酒は主作物の精粋であり、折々の祭事にあたって神や精霊と人との仲立ちをするものだった。』(pp.26)

・浅鉢
 『粉をこねたり生のしとぎを丸めたりして、団子や餅を作り、それを盛る器。黒漆や赤色顔料で彩られたもの、台のついたものもある。団子や餅は日常の食べ物ではなく、折々の祭日に神々や精霊に供えるべきものだった。。』(pp.29)

・蛙と太陰的世界観
 『蛙に対する最も古くて伝統的な観念は、古代中国に見いだされる。紀元前後をさかのぼる漢代の文物において月と蛙、また月と水に関する確かな観念の存在したことが知られている。ついで、その起源は、およそ7000年~4000年前に黄河の中、上流域で展開した仰韶文化にさかのぼることが推察される。この文化における蛙文や半人半蛙文のあり方は、これらのものと驚くほど符合する。』(pp.31)

・月を呑んだ蛙
 蛙は月の動物

・赤ん坊の手
 三本指は、月の暗闇に三日間を著している

・不死の水

・新しい月に抱かれた古い月
 スコットランド民謡の歌詞

・月の腕
 『この種(蒸し器形深鉢)の土器の腰の部分には、決まって三日月形の凸線と縦の平行線を組み合わせた文様がある。』(pp.39)

・季節を司る精霊 『蛙とも人ともつかぬ半人半蛙の精霊像。大きく振り上げた両腕は三日月を暗示し、その手首のあたりから分かれて下方内側に巻く別な両腕は、月の生長と減殺の軌跡を著しているのだろう。』(pp.40)
 この表現は、新月から日ごとに生長する月の夕方の形と位置の行程の軌跡を描くと分かりやすい。また、満月から次第に闇夜になる軌跡も全く同様に現わすと、上記のような両腕の形になる。
 
これらの文様に対する同様な解釈は、他の著書にも多く見ることができる。
 



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