生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

その場考学との徘徊(59)大礼期間中の皇居東御苑

2019年11月01日 08時55分05秒 | その場考学との徘徊
その場考学との徘徊(59)
題名;大礼期間中の皇居東御苑

場所;東京都 年月日;R1.10.26
テーマ;小春日和のウオーキング  作成日;R1.10.31 アップロード日;R1.11.1
                                                     
TITLE: 大礼期間中の皇居東御苑

 新天皇の即位に際して行われる一連の儀式や行事は「大礼」と呼ばれる。今年は、そのすべてが短期間に行われる珍しいことなのだ。例えば、明治の初めにはこんなことだったと記録されている。1866年12月に孝明天皇が崩御され、翌年1月に明治天皇が践祚された。しかし、明治への改元は1年半後の1868年9月だった。この間が、大礼の期間となる。

 10月22日の即位礼のTV中継の中で、色々なことが語られていたが、どうも全体像が分からない。そこで、皇居の東御苑に出かけることにした。目的は二つ、三の丸尚蔵館で公開中の過去の大礼中に皇室に収められた、国内外からの美術品の鑑賞と、建築中の大嘗祭の建物を見る為だった。

 最近の東御苑は、欧米人に人気で入り口の長蛇の列は有名だ。現役中には、昼休みに何度も出かけたが、入り口の行列はなかった。今回は、地下鉄の大手町駅から大手町ビルの中を通って、大手門へ向かった。土曜日の9時の館内は閑散として、人影はない。通い詰めた三省堂はまだそのままだった。
 
 

大手門から二の丸池に向かった。昔は、女性がランチをしていたが、観光客が増えた今はどうなのだろうか。昭和天皇が係わった風変わりな鯉が、沢山いた。以前よりは増えているように思える。





 大嘗祭の建物は、芝生広場の北の端にある。そちらに向かうと、すべてが塀に囲まれて、何も見えない。工事業者の看板と工事用駐車場だけだった。
 警備員に聞くと「建物が見ることができるのは、反対側の南からです」とのことで、入り口まで戻ることに。



 肉眼では全く見えないのだが、超望遠レンズだと人影まで確認できる。建物は大方完成しているように見える。






 横に、本丸休憩所があり、売店を兼ねている。ちなみにかつての売店は一か所だったが、今回は数か所に分かれており、どこのレジもお客さんの行列だった。私も、絵ハガキと75ページのグラビア本を買った。売店の中には、建物全体の模型もあった。



三の丸尚蔵館のすべての展示物の詳細な写真と説明文がある。気に入った「七宝斎田豊作図花瓶一対」、「富岳茶園」、ロイヤルコペンハーゲンの「デンマーク汽船図花瓶一対」などの説明文をじっくりと読みたかったからだった。売店の裏から展望台に登る小径がある。ここからの景色は、昔とは全く異なる。小摩天楼の感じすらする。



そこから、昔の松の廊下方向へ歩くと、古品種の小さな果樹園がある。丁度、果実が実っていた。手前は、東静岡の「四つ溝」という渋柿、奥は、津軽の「りんき」。



 帰りは、東京駅からと考えて、大手門から東へ歩いた。野村と富士銀行の高層ビルはかなりまえからあるが、我が昔の住みかの「新大手町ビル」は、まったく変わりない。何故なのだろうかといつも気になっている。東側の地下室は、大きな金庫室のような作りで、その一部屋が、私が日産から宇宙部門を買収する際にあてがわれた準備室だった。いまは、どうなっているのだろうか。
時の流れは、早い。




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