生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(45)

2017年09月10日 09時44分56秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(45) TITLE:  「古代渦巻文の謎」KMB3370
    
書籍名;「古代渦巻文の謎」[1995] 
著者;大谷幸市  発行所;三一書房   発行日;1995.3.15
初回作成年月日;H29.8.20 最終改定日;H29.9.10 
引用先;文化の文明化のプロセス  
 
 著者の経歴や専門分野は本には書かれていないが、過去に数冊の古代史の本を著している。1995~2007に発行された大谷幸市の著書3冊を読んだ。
 その中の「古代渦巻文の謎」から引用する。




・序章 今、なぜ「古代史と渦巻き」か



 「記・紀」の神話の中に、いくつかの渦巻きを想定させる逸話や和歌が登場する。それらを紹介しながら、次のように述べている。
 『確かにわが国の古代人も他の民族同様「渦巻き」に関心を持っていた。しかし、わが国の場合その関心の度合いと表現の方法は、比類のないものだったと考えられる。
 
渦巻きは「時間の経過による空間の拡大・縮小」現象を明らかに示している。この「時間の経過による空間の拡大・縮小」現象は、ものの生成に必要な条件になっている。また、この現象は空間の「拡大・縮小」現象に示されるように相対性をもっている。そして、この相対性もものの生成になくてはならない要素と認められる。
 
すなわち、わが国の古代人は、渦巻きに、時間の経過による空間の拡大・縮小現象を、さらにものの生成に必要な相対性を読み取り、それらを幾何学図形の形で表していた。それは、彼らの究極的な願望、復活祭性の信仰に結ばれるものであった、このように考えられる。』(pp.10)
 いきなりこのように言われても、俄かには理解できないのだが、3部作を続けて読むと概ね理解することができる。

渦巻き文様は、古代文明を起こした民族に共通の文様なのだが、『我が国の古代人が、渦巻きに対峙する姿勢において他の民族に相違するところは、縄文として表現されていた(ちなみに古代中国においては太極図として表現されていた)「二重らせん」を基本に眼形・菱形文・向かい三角文・同心円文などの表現方法を使っていたところに見いだされると思う。換言すれば、わが国の古代人は、自然界におけるものの生成に関わる諸現象を幾何学図形を通して把握しようとしていた、このようにいえるのではないかと思う。』(pp.10)


ここで、「二重らせんを基本に眼形・菱形文・向かい三角文・同心円文など」との説明は一見不思議に思われるのだが、やはり3部作を続けて読むと、その関連性が明確になってゆく。そこに、3部作を続けて読む楽しみが生まれる。また、図には示されているのだが、太極図は、円に内接するS字二重螺旋の線の部分を消したものになっている。

『縄文が先行して現れ、その後に渦巻文の出現を見たことは、次のように説明できると思う。つまり、「わが国の縄文人はさまざまな組縄による回転施文を繰り返し行たっているうちに、縄文の断面の形に気づき、縄文と渦巻文の相即不離の関係をみいだしていた』と。
「縄文と渦巻文は同根である」。』(pp.26)

縄文土器を作る際の3次元的な感覚は、渦巻き文様を立体的にとらえたり、横からみたり縦から見たりする感覚を縄文人に与えたと考えられる。一万年間も作り続けたのだから、その進化は当然であろう。

『縄文時代の山の信仰が、蛇の信仰として具体的に表現され、それがさらに渦巻文として抽象化されるという過程を想定するか、それとも螺旋という形が本質的に意味があり、それが円錐形のカムナビの山や蛇を神聖視してゆく過程があったのか、早急な結論を出すことはできない。』(pp30)との説が引用されているが、著者は圧倒的に後者(すなわち、「螺旋という形が本質的に意味がある」を主張している。

つまり、蛇が格別に強い生命力を持っていたと考えたわけではなく、蛇が神聖視されたわけは、その形態にみいだされるらせんや渦巻きに求められていると、主張している。

図16(省略)では、「蛇の形態の図形化」として、①直線(静止形)、②波形(蛇行)、③渦巻き(とぐろ)、④二重螺旋(交尾)を示している。
『イザナギとイザナミが天の御柱を旋回する話からは、同じく④にしめす「蛇と二重らせん」を想定できるだろう。イザナギとイザナミの組みあわせは、中国に伝えられる伏義と女媧に該当すると考えられる。伏義と女媧の下半身は、蛇身でらせん状に絡み合っている。』(pp.32)

 縄は紐や弦を「撚る(よる)」ことでできる。2本、3本を撚れば強くなる。反対方向に撚ったものを撚り合わせると格段に強くなる。このようなことは縄文人の常識だったのだろう。そこで、より合わせた紐を少しほぐして長く伸ばし、横から見ると眼の形や、菱形の連続形になる。つまり、眼の形や、菱形の連続形は、3次元の二重らせんを2次元化したことになる。これが、著者の発見であったようだ。

『眼形は左巻と右巻きの螺旋の合体によって生み出されるというわけである。(同じ巻き方の渦巻きではそのような形は生じない)。換言すれば、眼形は二重らせん(左巻と右巻きの螺旋の合体形)を内含する形といえる。』(pp.36)
さらにここでは、「左巻き・右巻きという相対関係が絶対的な条件となる」としている。

また、九州地方の有名な幾何学模様が描かれた「虎塚古墳」の模様について、『①二連結の三角文、②二つの同心円、③鋸歯文、④S字形渦巻文が同時に描かれている』(pp.394)4つの文様が同時に示されていることを重要視しており、これら4つが全て「渦巻き」に由来する一連のものであるとしている。

また、弓矢で的を射る神事が、あれほど単純な形で守られていることに関しては、「二つの円錐形と鏡の原理を内包する的射神事」として、二つの渦を合体させるという意味が込められているとしている。(pp.307)
文化は、合理的に単純化してゆけば普遍的なものとなってゆく。この著者の説明はすべて正しいとは言い切れないが、一般的な文化の文明化のプロセスの一端を示しているように思う。