メタエンジニアの眼シリーズ(46)
このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
TITLE: 書籍名; 「21世紀の日本」[1977]著者;松下幸之助発行所;PHP研究所 1977.1.1発行
初回作成年月日;H29.9.5 最終改定日;
この書は、1977(昭和52年)に発行された。副題は、「私の夢、日本の夢」とあり、「PHP研究所創立30周年記念出版」とある。巻頭には、出版責任者の言葉として、『弊所ではこの三十年を記念し、所長松下幸之助著「私の夢・日本の夢 21世紀の日本」を出版させていただきました。本書は「混迷の現代日本に欠けているものは将来にわたるビジョンである。その日本のあるべき姿というものを一日本人として描いてみたい」という著者の願いから書き下ろされた、いわば混迷に本への提言の初でございます。』
まえがきは7ページに亘っている。著者の思いからすれば、当然のように思われる。何か所かを引用する。
当時の現状認識としては、
『急速な復興発展の一面に、そのヒズミともいうべき、さまざまな問題も生じてきました。公害であるとか、過疎過密、物価高騰といったこのましからぬ現象が社会の各面に見られるようになっています。それとともに、経済というか物の面の急速な成長発展に対して、心の面、精神面の進歩向上がそれに伴わず、そこに物心のアンバランスが起こり、それからまたさまざまな弊害がもたらされているわけです。』とある。
そして原因を、日本人の戦略思考の欠如にもとめている。『まず経済を復興させ、生産を盛んにして、お互いの生活物資をつくらなければならない、ということは、当時の国民が言わず語らずのうちにひとしく考えたとは思います。しかし、そういういわば必要に迫られてのことであって、しからばどのように復興再建を行い、どういう好ましい国に日本をしてゆくのかといった明確な方針はなかったわけです。』
したがって、今後最も大切なことは、『20年後の日本、30年後の日本をこのような国にしてゆくという目標を国民の合意によって定め、その目標に向かって、国民それぞれの場において努力してゆくということです。』
しかし、このことはワンマン社長の大会社では可能であっても、日本という国においては難しいと思う。かつて、徳川家康が考えたこと、明治維新の志士たちが考えたことに相当する。何より、昭和52年当時も現代にもそれに相当する危機感がない。
あまり知られていないのだが、『昭和7年には会社の使命、産業人としての使命を達成してゆくための二百五十年計画というものを発表し、その実現に努めてまいりました。物質を水道の水のごとく豊かに生産し安価に供給することによって、この社会から貧困をなくしていくことをもって会社として産業人としての真使命と考えたのです。その使命の達成期間二百五十年と定め、これを二十五年ずつの十節にわけて、当時の従業員はその最初の一節をになうことを自分たちの使命と考えて活動してゆこうと訴えたわけです。このことによって、従業員の自覚も高まり、会社もそれまでにくらべて飛躍的な発展をとげることになりました。』
1932年形既に85年が経過している現在は、第3節の半ばということになるのだが、彼には節ごとの目標があったのかどうかを確かめてみたい。松下幸之助の250年計画はどこへ行ってしまったのであろうか。
最後に、『本書の内容はいわゆる未来予測ではありません。』との断りがある。つまり、彼の夢物語なのである。
序章は、次の言葉で始まっている。『西暦2010年のはじめ、権威ある国際機関が、世界人類の真の繁栄、平和、幸福実現の資とするために、各国の協力を得て、百万人に及ぶ人々を対象に行った大がかりな国際世論調査の結果が発表された。』(pp.17)で始まる。
その結果は、アメリカ、スイス、カナダ、オーストラリアなどの名前が挙がったが、圧倒的な一位は日本だった。勿論、これは1977当時の松下幸之助お夢なのだが、あながち間違ってはいない。それは、次の文章になって表れている。
『極東という位置から来る魅力とあいまって、年々日本を訪れる人は増加の一途をたどっている。世界の多くの人人にとって、一生に一度は日本を訪ね、その美しい自然に接することが一つの夢になりつつある。』
『しかし二十一世紀の今日においてもなお、いろいろな形で自由が規制され抑圧されている国は少なくない。一方一部の国では、大幅な自由が認められているものの、人びとが自由の意味をはきちがえ、自分勝手な気ままな言動が多く見られ、社会に混乱をきたしている。その点日本には個人の生活に起きても、団体や企業の活動についても、世界のどの国にも劣らない自由がある。だから人びとはみなのびのびと自分のもち味を発揮して生活をし仕事をしている。それでいて、そのじゆうがいきすぎることなく社会各面の秩序も保たれている。だから治安も安定し、犯罪はどこよりも少ない。』(pp.18)
これもまさに夢なのだが、相対的な意味にとるならば半分くらいは当たっている。そして、この結果、訪日外国人の数は飛躍的に伸びて、一般の観光客ばかりでなく、「多くの政治家、経済人、学者、文化人が視察に来た」としている。しかし、現状はどうであろうか、文化はともかくとして、政治・経済・学者に示すことができるモデルは失われた20年を境に激減している。
話はさらに、これらの分野の4か国代表団が、日本国内を調査して、その結果を議論したストーリーへと続く。彼らは、一様に日本のあり様を称賛するのだが、国際貢献、インフレの克服、不景気なき発展、過疎過密のない社会などをあげている。しかし現代世界は、これらのいずれの点でも、日本を優等生のモデルとしては、認めていないと思われる。
どこで間違えたのであろうか。やはり、当時の松下幸之助が指摘をした、『20年後の日本、30年後の日本をこのような国にしてゆくという目標を国民の合意によって定め、その目標に向かって、国民それぞれの場において努力してゆくということです。』が、未だにできていないからではないだろうか。
日本は、相変わらずの官僚支配の国なのだから、このことは官僚に任せるしかないのだろうか。
このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
TITLE: 書籍名; 「21世紀の日本」[1977]著者;松下幸之助発行所;PHP研究所 1977.1.1発行
初回作成年月日;H29.9.5 最終改定日;
この書は、1977(昭和52年)に発行された。副題は、「私の夢、日本の夢」とあり、「PHP研究所創立30周年記念出版」とある。巻頭には、出版責任者の言葉として、『弊所ではこの三十年を記念し、所長松下幸之助著「私の夢・日本の夢 21世紀の日本」を出版させていただきました。本書は「混迷の現代日本に欠けているものは将来にわたるビジョンである。その日本のあるべき姿というものを一日本人として描いてみたい」という著者の願いから書き下ろされた、いわば混迷に本への提言の初でございます。』
まえがきは7ページに亘っている。著者の思いからすれば、当然のように思われる。何か所かを引用する。
当時の現状認識としては、
『急速な復興発展の一面に、そのヒズミともいうべき、さまざまな問題も生じてきました。公害であるとか、過疎過密、物価高騰といったこのましからぬ現象が社会の各面に見られるようになっています。それとともに、経済というか物の面の急速な成長発展に対して、心の面、精神面の進歩向上がそれに伴わず、そこに物心のアンバランスが起こり、それからまたさまざまな弊害がもたらされているわけです。』とある。
そして原因を、日本人の戦略思考の欠如にもとめている。『まず経済を復興させ、生産を盛んにして、お互いの生活物資をつくらなければならない、ということは、当時の国民が言わず語らずのうちにひとしく考えたとは思います。しかし、そういういわば必要に迫られてのことであって、しからばどのように復興再建を行い、どういう好ましい国に日本をしてゆくのかといった明確な方針はなかったわけです。』
したがって、今後最も大切なことは、『20年後の日本、30年後の日本をこのような国にしてゆくという目標を国民の合意によって定め、その目標に向かって、国民それぞれの場において努力してゆくということです。』
しかし、このことはワンマン社長の大会社では可能であっても、日本という国においては難しいと思う。かつて、徳川家康が考えたこと、明治維新の志士たちが考えたことに相当する。何より、昭和52年当時も現代にもそれに相当する危機感がない。
あまり知られていないのだが、『昭和7年には会社の使命、産業人としての使命を達成してゆくための二百五十年計画というものを発表し、その実現に努めてまいりました。物質を水道の水のごとく豊かに生産し安価に供給することによって、この社会から貧困をなくしていくことをもって会社として産業人としての真使命と考えたのです。その使命の達成期間二百五十年と定め、これを二十五年ずつの十節にわけて、当時の従業員はその最初の一節をになうことを自分たちの使命と考えて活動してゆこうと訴えたわけです。このことによって、従業員の自覚も高まり、会社もそれまでにくらべて飛躍的な発展をとげることになりました。』
1932年形既に85年が経過している現在は、第3節の半ばということになるのだが、彼には節ごとの目標があったのかどうかを確かめてみたい。松下幸之助の250年計画はどこへ行ってしまったのであろうか。
最後に、『本書の内容はいわゆる未来予測ではありません。』との断りがある。つまり、彼の夢物語なのである。
序章は、次の言葉で始まっている。『西暦2010年のはじめ、権威ある国際機関が、世界人類の真の繁栄、平和、幸福実現の資とするために、各国の協力を得て、百万人に及ぶ人々を対象に行った大がかりな国際世論調査の結果が発表された。』(pp.17)で始まる。
その結果は、アメリカ、スイス、カナダ、オーストラリアなどの名前が挙がったが、圧倒的な一位は日本だった。勿論、これは1977当時の松下幸之助お夢なのだが、あながち間違ってはいない。それは、次の文章になって表れている。
『極東という位置から来る魅力とあいまって、年々日本を訪れる人は増加の一途をたどっている。世界の多くの人人にとって、一生に一度は日本を訪ね、その美しい自然に接することが一つの夢になりつつある。』
『しかし二十一世紀の今日においてもなお、いろいろな形で自由が規制され抑圧されている国は少なくない。一方一部の国では、大幅な自由が認められているものの、人びとが自由の意味をはきちがえ、自分勝手な気ままな言動が多く見られ、社会に混乱をきたしている。その点日本には個人の生活に起きても、団体や企業の活動についても、世界のどの国にも劣らない自由がある。だから人びとはみなのびのびと自分のもち味を発揮して生活をし仕事をしている。それでいて、そのじゆうがいきすぎることなく社会各面の秩序も保たれている。だから治安も安定し、犯罪はどこよりも少ない。』(pp.18)
これもまさに夢なのだが、相対的な意味にとるならば半分くらいは当たっている。そして、この結果、訪日外国人の数は飛躍的に伸びて、一般の観光客ばかりでなく、「多くの政治家、経済人、学者、文化人が視察に来た」としている。しかし、現状はどうであろうか、文化はともかくとして、政治・経済・学者に示すことができるモデルは失われた20年を境に激減している。
話はさらに、これらの分野の4か国代表団が、日本国内を調査して、その結果を議論したストーリーへと続く。彼らは、一様に日本のあり様を称賛するのだが、国際貢献、インフレの克服、不景気なき発展、過疎過密のない社会などをあげている。しかし現代世界は、これらのいずれの点でも、日本を優等生のモデルとしては、認めていないと思われる。
どこで間違えたのであろうか。やはり、当時の松下幸之助が指摘をした、『20年後の日本、30年後の日本をこのような国にしてゆくという目標を国民の合意によって定め、その目標に向かって、国民それぞれの場において努力してゆくということです。』が、未だにできていないからではないだろうか。
日本は、相変わらずの官僚支配の国なのだから、このことは官僚に任せるしかないのだろうか。