その場考学研究所 メタエンジニアの眼シリーズ(176)
TITLE: 「空港公害」
書籍名;「空港公害」 [1993]
著者;川名英之 発行所;緑風出版
発行日;1993.1.30
初回作成日;R2.7.17 最終改定日;
引用先;文化の文明化のプロセス Implementing
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
この書は、科学博物館からの依頼でジェットエンジンの技術の歴史を調べているときに、偶然図書館のリユース本の中から見つけた。「日本の公害」と題するシリーズ本の第8巻で、第1巻の「公害の激化」から始まり、薬害・食害・鉱山・大規模開発などと続いた後の最後の巻になっている。それまでの公害問題は企業相手のものだったが、「空港」は国家が相手の訴訟問題になっている。かつて、司馬遼太郎が「文明とは、支配者が人民を支配するための手段」というようなことを、韓国紀行の際に述べていたことを思い出し、メタエンジニアリング的文明の視点から読み始めた。
その感想は、「民主主義というものが、いかに不確かでもろいものか」ということだった。
本文は、6章に分けられていて、大阪空港、関西空港、横田基地、厚木基地、嘉手納基地問題について語られている。筆者は、毎日新聞の記者で環境問題を担当した後で、編集委員になっている。大阪空港問題は、彼が新聞記者時代のもので、日ごとの経緯が詳しく述べられているのも、特徴になっている。そこで、最もページ数の多い、大阪空港を取り上げる。
私は、最近は京都・奈良の旅行時にはこの空港を利用することが多い。退屈な新幹線の旅に比べて、空港からリムジンバスでゆっくりと目的の駅前に到着できるからである。しかし、着陸時の眼下の大阪の市街地を、毎回不思議な気分で通過する。なぜ、こんなところの空港が、いつまでも使い続けられるのだろうか、といった疑問だ。しかも、今まさに羽田空港でも同じことが計画されている。それほどまでに、エンジンの性能(信頼性と騒音、排ガス成分)がよくなっているのだろうか。
文明は、発展途上時には過酷な仕打ちを住民の課す。勿論「武明(武力により支配する)」よりはましなのだが、国家権力による暴力と言えなくもない。この文章を読んでいると、そんな気が起こってくる。北朝鮮は明らかに「武明」なのだが、現代中国は、「文明」なのだろうか。欧米各国と比べれば、文明力と武力が半々のように思える。
大阪空港は昭和13年に、臨海工業地帯にあった「大阪飛行場」の補助機能としての「第2空港」として計画され、6人乗りの単発機を対象に作られた、とある。従って、全くのローカル線専用で、国際線や大型機の乗り入れは全く考えられていなかった。当時の周辺は見渡す限りの田園地帯だったとある。この時点での政治判断は正しかったのだろう。しかし、日本の経済成長が適時反映されることになり、大きな騒音公害を引き起こすことになった。問題発生時の昭和50年の写真では、敷地の周辺は住宅と工場でびっしりと埋まっている。昭和45年からジェット機が導入された。そのための滑走路延長問題は、当然揺れた。そして、夜間飛行の規制や多くの保証を盛り込んだ覚書が調印され、運用が始まった。しかし、滑走路の延長で、付近の小学校での騒音は92-109ホンになったと記録されている。また、離陸側の悪臭を伴う排ガスによる、頭痛・食欲不振・鼻血・気管支炎が頻発した。
訴訟は、「騒音による被害の差し止め」を主張して始めらた。1審は敗訴したが、2審は勝訴。9時以降の飛行差し止めの仮処分まで認められる雰囲気が出た。全日空の若狭社長は、弁護団の申し入れの一部を了解した。
ここで決着と思われたが、、運輸省は上告を敢行した。しかし、最高裁の小法廷は上告棄却の方向へ傾いた。そこで、判決の直前に、小法廷から大陪審への変更が画策され、受け入れられ、判決は逆転して住民敗訴に終わった。
この期間の運輸省を始めとする政府関係の画策が細かく記述されているのだが、そこは省略する。いつに時代でも、どこでもあることで、特に興味は湧かない。問題は、その大法廷の13人の判事の判決後の発言だ。
『差し止め訴えの却下は9対4の評決で、多数意見を採用した』とある。(pp.178) 問題は、被告人(住民側)に、人格権と環境権にもとづく、運輸省行政への差し止め権があるかどうかだった。裁判官の名前の中には、昔し東大教養学部の授業で講義を聞いた教授がいた。以下は、pp.180-185からの少数意見の抜粋。
団藤裁判官;『差し止めに関する限り、民事訴訟の途をとざすことになり、国民に裁判所の裁判を受ける権利を保障している憲法32条の精神から云っても疑問を持つ。』
環裁判官;『現に存在している損害を排除するための客観的に適当と認められる方法を採ることを国に請求することができると解するのが相当である。』
中村裁判官;『航空機の離着陸の規制に関する限り、公権力の行使という性質が含まれているというが、航空法その他の関係法律がこのような趣旨の立法をしたものであると解することには飛躍があり、・・・。』
木下裁判官;『被告人らは運輸大臣による(中略)行政権限の発動またはその行使の禁止を国に求めているものではない。(中略)判決が直接に航空行政権の行使を拘束し、これに対して義務づけをすることになるものではない。』
など、いずれも筋が通っているように思える。
高度成長期の当時でさえ、これほどの反対意見が公表されている。現代に同じ訴訟が起これば、逆の判決が出る可能性が大きいように思う。つまり、最高裁の判決ですら判例として正しいとは云えない。
プラトンの対話編にあるソクラテスの言葉が蘇る「正しいこととは、議論することだよ」で、この判決も議論が尽くされたとは言い難い。一般に、民主主義が議論を尽くさずに、多数決で決めてしまうことが多い。特に、「和を以て貴しとなす」日本では、このことが良しとされている。しかし、設計の立場からは、多数決は大いなる危険を伴う。
TITLE: 「空港公害」
書籍名;「空港公害」 [1993]
著者;川名英之 発行所;緑風出版
発行日;1993.1.30
初回作成日;R2.7.17 最終改定日;
引用先;文化の文明化のプロセス Implementing
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
この書は、科学博物館からの依頼でジェットエンジンの技術の歴史を調べているときに、偶然図書館のリユース本の中から見つけた。「日本の公害」と題するシリーズ本の第8巻で、第1巻の「公害の激化」から始まり、薬害・食害・鉱山・大規模開発などと続いた後の最後の巻になっている。それまでの公害問題は企業相手のものだったが、「空港」は国家が相手の訴訟問題になっている。かつて、司馬遼太郎が「文明とは、支配者が人民を支配するための手段」というようなことを、韓国紀行の際に述べていたことを思い出し、メタエンジニアリング的文明の視点から読み始めた。
その感想は、「民主主義というものが、いかに不確かでもろいものか」ということだった。
本文は、6章に分けられていて、大阪空港、関西空港、横田基地、厚木基地、嘉手納基地問題について語られている。筆者は、毎日新聞の記者で環境問題を担当した後で、編集委員になっている。大阪空港問題は、彼が新聞記者時代のもので、日ごとの経緯が詳しく述べられているのも、特徴になっている。そこで、最もページ数の多い、大阪空港を取り上げる。
私は、最近は京都・奈良の旅行時にはこの空港を利用することが多い。退屈な新幹線の旅に比べて、空港からリムジンバスでゆっくりと目的の駅前に到着できるからである。しかし、着陸時の眼下の大阪の市街地を、毎回不思議な気分で通過する。なぜ、こんなところの空港が、いつまでも使い続けられるのだろうか、といった疑問だ。しかも、今まさに羽田空港でも同じことが計画されている。それほどまでに、エンジンの性能(信頼性と騒音、排ガス成分)がよくなっているのだろうか。
文明は、発展途上時には過酷な仕打ちを住民の課す。勿論「武明(武力により支配する)」よりはましなのだが、国家権力による暴力と言えなくもない。この文章を読んでいると、そんな気が起こってくる。北朝鮮は明らかに「武明」なのだが、現代中国は、「文明」なのだろうか。欧米各国と比べれば、文明力と武力が半々のように思える。
大阪空港は昭和13年に、臨海工業地帯にあった「大阪飛行場」の補助機能としての「第2空港」として計画され、6人乗りの単発機を対象に作られた、とある。従って、全くのローカル線専用で、国際線や大型機の乗り入れは全く考えられていなかった。当時の周辺は見渡す限りの田園地帯だったとある。この時点での政治判断は正しかったのだろう。しかし、日本の経済成長が適時反映されることになり、大きな騒音公害を引き起こすことになった。問題発生時の昭和50年の写真では、敷地の周辺は住宅と工場でびっしりと埋まっている。昭和45年からジェット機が導入された。そのための滑走路延長問題は、当然揺れた。そして、夜間飛行の規制や多くの保証を盛り込んだ覚書が調印され、運用が始まった。しかし、滑走路の延長で、付近の小学校での騒音は92-109ホンになったと記録されている。また、離陸側の悪臭を伴う排ガスによる、頭痛・食欲不振・鼻血・気管支炎が頻発した。
訴訟は、「騒音による被害の差し止め」を主張して始めらた。1審は敗訴したが、2審は勝訴。9時以降の飛行差し止めの仮処分まで認められる雰囲気が出た。全日空の若狭社長は、弁護団の申し入れの一部を了解した。
ここで決着と思われたが、、運輸省は上告を敢行した。しかし、最高裁の小法廷は上告棄却の方向へ傾いた。そこで、判決の直前に、小法廷から大陪審への変更が画策され、受け入れられ、判決は逆転して住民敗訴に終わった。
この期間の運輸省を始めとする政府関係の画策が細かく記述されているのだが、そこは省略する。いつに時代でも、どこでもあることで、特に興味は湧かない。問題は、その大法廷の13人の判事の判決後の発言だ。
『差し止め訴えの却下は9対4の評決で、多数意見を採用した』とある。(pp.178) 問題は、被告人(住民側)に、人格権と環境権にもとづく、運輸省行政への差し止め権があるかどうかだった。裁判官の名前の中には、昔し東大教養学部の授業で講義を聞いた教授がいた。以下は、pp.180-185からの少数意見の抜粋。
団藤裁判官;『差し止めに関する限り、民事訴訟の途をとざすことになり、国民に裁判所の裁判を受ける権利を保障している憲法32条の精神から云っても疑問を持つ。』
環裁判官;『現に存在している損害を排除するための客観的に適当と認められる方法を採ることを国に請求することができると解するのが相当である。』
中村裁判官;『航空機の離着陸の規制に関する限り、公権力の行使という性質が含まれているというが、航空法その他の関係法律がこのような趣旨の立法をしたものであると解することには飛躍があり、・・・。』
木下裁判官;『被告人らは運輸大臣による(中略)行政権限の発動またはその行使の禁止を国に求めているものではない。(中略)判決が直接に航空行政権の行使を拘束し、これに対して義務づけをすることになるものではない。』
など、いずれも筋が通っているように思える。
高度成長期の当時でさえ、これほどの反対意見が公表されている。現代に同じ訴訟が起これば、逆の判決が出る可能性が大きいように思う。つまり、最高裁の判決ですら判例として正しいとは云えない。
プラトンの対話編にあるソクラテスの言葉が蘇る「正しいこととは、議論することだよ」で、この判決も議論が尽くされたとは言い難い。一般に、民主主義が議論を尽くさずに、多数決で決めてしまうことが多い。特に、「和を以て貴しとなす」日本では、このことが良しとされている。しかし、設計の立場からは、多数決は大いなる危険を伴う。