茨城から八ヶ岳南麓へどどんぱっ

今までのタイトルがブログの内容に合わなくなってきたので、模様替え。

富士山滑落事故のドキュメンタリーを見て。

2019-12-29 11:55:41 | Weblog
先日、動画配信中に富士山から滑落事故死した人のドキュメンタリーがやってたので見た。

自分の予想では若者が多くの視聴者から注目を浴びたい一心でノリでやった行動であろう、
そう感じていた。

予想がだいぶ異なっていた。
まず若者ではなかった。
47才。
そして司法試験を受け続けていた無職の男性であった事がわかった。
動画配信に関してはほとんど視聴者はいない、
居ても一人が二人、という状態であったようだ。

こういった事実がわかったのは彼の傍らで少しだけ
彼に関わっていた人の証言からだった。

一人は彼の住むアパートの大家さん。
決して広くは無いトイレ共同の家賃2万円台の物件。
その大家さんが彼が外に出ていくのはほとんど見た事が無いって
語ることで彼は無職とわかった。

そして彼の動画配信の視聴者が一人か二人程度と語ったのは、
彼と同じ動画配信仲間。
その仲間は彼の動画配信は面白くないという事も伝えていた。

そしてドキュメンタリーは彼の住んでいた部屋と、
彼の動画配信した他の映像も流した。

彼が富士山登山を決行した、きっかけではと思われる映像も流していた。
彼が街を自転車走行中の映像配信中に数少ない視聴者の女性が、
ぼそっと雪の富士山見たいな、
そう言っていた映像が流れた。

そして動画配信仲間が、彼は決して自殺ではない、
そう語っていた事で自殺と思われている節もあったのか?と驚く。

このドキュメンタリーはこれだけだ。
登場した人物はこれだけだ。
彼と関わった人としては希薄すぎる人たちしか登場してない。

彼がこの年まで無職で司法試験を受け続けていたのであれば、
必ずそこに親の援護があったと思われる。
だが親どころか親族、もっと深い関係である友人も全く登場しなかった。

何だこれは?
見終わった後、私は大変憤慨したのだ。
資金援助してる親がいるはずだ、
何故登場しない?
断られたのか?
それでこんな希薄な人物しか登場しない不完全な
出来損ないのドキュメンタリーを仕方なく放映したのか?

だが時間が経って別の見方も出てきた。
彼の生き方は社会から消えかけた希薄な存在になっていた。
その存在そのものを表すのは、やはり希薄な人間関係の人々たち。
親が出てきてリアルな気持ちを吐露したら、
彼の置かれている透明な人生は表現出来ない。

自殺では無い。
そう配信仲間が語っていた。
映像では明らかに滑落した事故死である事が映っている。
だけど、
事故死ではあるけど、心の片隅にあった生への放棄が起こした
運命だったように思える。

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