屯田物語

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相聞歌に恋する

2009年09月22日 | 旭川の風景


三浦綾子さんは旭川市4条16丁目で生まれた。
わたしの生まれは隣の15丁目なので、旭川のご出身であることは知っていたが、
これほど近くだとは思わなかった。

そして、綾子さんは大成小学校、旭川市立高等女学校(北都中学の前身)を卒業されている。
大成小、北都中とも、わたしの大先輩でもあった。

「氷点を旅する」から

旭川のほぼ全景を西から見わたせる丘なみのうちに観音霊園と呼べれる墓所があり、
・・・三浦家の新しいお墓が立てられている。
清楚な長方形の台座には、正面に碑面が立ち、
十字架に続けて「三浦光世・綾子の墓」と横書きに碑銘が彫られた。
・・・
そして、その碑銘を共にささえ合うかのように、両わきに夫妻の短歌が刻み込まれている。


 着ぶくれて吾が前を行く姿だにしみじみ愛し吾が妻なれば    光世

 病む吾の手を握りつつねむる夫の眠れる顔も優しと想ふ     綾子


来年か再来年までには鷹栖に墓をたてたいと思っている。
もともとわたしの家は曹洞宗であるが、禅宗は葬儀・法事などの決まりが面倒そうなので、
もっと楽な宗派に鞍替えしようかと考えているくらいだから、
信仰深い三浦さんの真似をして、碑文など刻めそうもない。
それはそれとして、三浦夫妻の相聞歌は切なく胸にしみ込んでくる。