屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

地を駆ける間寛平

2010年01月16日 | 旭川の風景


 地を駆ける間寛平愉しげに一万キロは風のふくまま

地球一周は赤道の距離で測れば4万キロ・・

世界一周「アースマラソン」に挑戦中のタレント間寛平さんは前立腺癌に罹患していた。
「治療を受けながら、あと一万キロの完走を目指します」
彼の決心に驚きもしたが、これまでにかけた費用を考えれば、
引くに引けない事情があるのかもしれない。

そうはいっても、
再発するたびにオタオタしている臆病者に比べ、
人生を潔く生きぬこうとしているようで羨ましい。

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神居古潭の白い吊橋を渡る

2010年01月14日 | 旭川の風景


神居古潭の吊橋を渡ると 九条武子 の歌碑がある。
しかし、ずっと雪が深くて通行止にもなっているし、
あきらめてこのあたりで引き返すことにした。

 たぎつ波 ましろう白う 岩にちる
     神居古潭の くもれる真昼          九条武子


母の記憶のなか、
武子は竹下夢路の描く楚々とした女性のようであった。



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宵闇せまれば悩みは果なし

2010年01月13日 | 旭川の風景


「宵闇とは日没から月の出るまでの暗さ」

二千円以上の書籍を買うと珈琲サービス券(百円割引)がもらえる。
それがほしかったわけでもないが、
「現代の歌人140」を購入してしまった。

 ♪ 宵闇せまれば悩みは果なし~フランク永井の歌にあるが、
宵闇せまる街を眺めながら、
珈琲を味わいつつ新しい本の手触りを楽しむ・・
憂いはあっても、今、この贅沢な時間に感謝しなければなるまい。

そして、ユーモアあふれる歌に出遭って思わずニヤッとしたりしていた。

 桃太郎と金太郎と勝負することなし されどああ少し金太郎好き       馬場あき子

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「山桜桃」というラーメン屋 

2010年01月12日 | 旭川の風景


「山桜桃」・・ゆすら
琴似神社の近くに本店があって、
はじめて食べたときは、これぞ究極の旭川ラーメンかもしれないと思った。

「五丈原」と「山桜桃」・・
わたしの好みでいえば「札幌で味わえる旭川ラーメンのベスト1,2」かと思っている。

JR札幌のエスタ10階に札幌ラーメン共和国というラーメン村があって、
そこに「山桜桃」が出店していた。

旭川ラーメンというとつねに「蜂屋」と比較することになるが、
スープと麺はどちらも甲乙つけがたい。
しかし、「山桜桃」のとろけるようなチャーシューは別格であった。

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はやいもので、もう大晦日となりました。

2009年12月31日 | 旭川の風景


2009年12月31日・・

おおみそかの”みそ”というのは三十のことであり、
したがって大晦日とは12月30日のことかと思ったが、それは旧暦の言いまわしで、
新暦の大晦日は12月31日でいいのである。当たり前!(笑)
あらためて旧暦を検索すると、それが複雑怪奇な成り立ちがあってそれを理解することは難しい。
現在、旧暦と呼ばれるのは主に天保暦(1844~1872) ということであった。

今年一年、さまざまな思いは残るが、
虚心坦懐な気持ちでこの一年を振り返ってみるのもわるくない。

というわけで・・

「屯田物語」をご覧のみなさまへ

来年もよろしくお願いします。
良いお年をお迎えください。

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もしかして、スズメバチの巣かも・・

2009年12月28日 | 旭川の風景


きょうこそエゾリスに逢えるかと思って、
心積もりのところを歩いたが、あいにく無駄骨であった。



そのかわり、
スズメバチの巣かと見紛う大きな雪のかたまりがあちらこちらの枝にぶらさがっていて、
ちょっとした風にあうと、あっというまに雪煙となって消えてしまうから面白い。

自分で枝を揺らそうかと思ったが、
それはいかにもわざとらしい仕草に思えて、じっと風がくるのを待っていた。

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忠別川にかかる新神楽橋

2009年11月27日 | 旭川の風景


初冬といっても今日の雨はあまり冷たくない・・
さて、フォレスターにのって、これからどうしょうかと考えていたが、
取りあえず、神楽橋まで行ってみようかと思う。



新神楽橋は400メートルを超える長さ、しかも橋脚がなく桁も薄くなっているとか、
旧神楽橋と比べればわかるよね。
これで必要な強度を確保しているのだから、どんな構造なのかと橋桁の下へ潜ってみた。



真下から見あげると自分が巨大な構造物にしっかりと守られているようで案外心地よい。

忠別川のゆったりとした流れはいつも変わらない、ここには思い出がいっぱいあるからね。



旭川は新しい駅舎を建設中である。
買物公園が出来たときのような賑わいを取り戻してほしい。


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「二位でもいいのでは・・」

2009年11月26日 | 旭川の風景


事業仕分けには無駄な予算を徹底して削減するという大義はあるにしても、
そのやり方は拙速にすぎるのではないか。

「二位でもいいのでは・・」

演算性能世界一を狙うスパコンプロジェクトに対する蓮舫議員の発言はあまりに短絡的であった。
ノーベル賞受賞者など科学者から痛烈な批判を受けて
蓮舫さんは「プロジェクト担当者の説明がわるい」と責任を転嫁しているようだが、
先ず国会議員として不見識な発言を詫びるべきだろう。

詳しくは うさログ をご覧ください。



三ヶ月ごとの内視鏡検査は無事OKであった。
昨日までは”青菜に塩”、今日は”仕分け批判”なのだから、少しは元気が出てきた証拠である。

四年前は検査のあと、こんな歌を詠んでいたが、
これからは四ヶ月を三ヶ月に直さなければならないけどね。
 
 見上げればまた四ケ月の元気持つ
     辺境の地の透けた秋空


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神楽岡のエゾリス

2009年11月25日 | 旭川の風景


神楽岡公園を歩いていたら、あれっ、エゾリスだよ・・
近づきすぎると逃げてしまうだろうし、ちょこまかと動きが素早くて、
なかなかピントがうまく合わない。
一歩二歩三歩、そろそろと前へ進みながら、

「少しだけじっとして、お願い!」

思わず小声でつぶやいたら、ほんとうに声が聞こえたのか、
すくっと立ち止まると、わたしのほうをほんの少しだけ確かめてくれた。

「ありがとう!」

気取りやさんのエゾリス君のおかげで、可愛い姿をおさめることができて満足である。








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北鎮記念館 「銃口」の歴史

2009年11月24日 | 旭川の風景


少し日暮れてきた護国神社・・
街の中の神社の境内なのに、人っ子ひとりみえなくて寂しい気もするが、
晩秋から初冬へ、そんな季節の端境のなかを行ったり来たりしていた。

護国神社の向かいに陸上自衛隊の駐屯地があって、
この一角の北鎮記念館・・
北海道の防衛と開拓に携わった屯田兵や旧陸軍第七師団の歴史を物語る資料が多数展示されている。



「銃口」 を読み進めることが辛くなってきた。
ご自分で軍国少女であったという三浦綾子さんの悔恨がこの小説を書いた動機だということである。
銃をもったことのない著者がなぜ中国や韓国の方に土下座!してまで謝りたいと思ったのか、
それがどうしても納得できなくて・・

太平洋戦争終了後、
日本は平和憲法を盾にあらゆる戦いを忌避してひとりの戦死者もだしてこなかったが、
果たしてこれが世界に誇り得ることなのか、そんなことを考えながらお参りしていた。

一昨年亡くなった父は極寒のシベリヤ抑留のことを話すことはあったが、
戦争について語ったことはない。

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