屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

棄てられたモニュメント

2011年02月28日 | 沖縄


残波岬の遊歩道を北のほうにゆくと、
野球のクロスプレーを描いたモニュメントを見つけた。
沖縄代表として甲子園に初出場した首里高等学校を記念して造られたものかもしれない。
それにしても、モニュメントはまったく手入れされていなかった。
基礎の一部が欠落して、
こうした無残な姿をみるのは悲しいことである。





「祖国復帰闘争碑」

2002年3月14日、辺戸岬を訪ねたときの写真である。
祖国復帰を願って、
与論島の島民とかがり火をたいて励ましあったといわれている。


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残波岬の灯台に灯りが灯った?

2011年02月27日 | 沖縄


残波岬・・

はじめてこの岬にきたのは2002年3月25日である。
あれから九年経ったいうことだね。
残波岬は恩納村のホテルから近い。
沖縄は五回目、そのつど岬に寄っていると思っていたが、
アルバムをめくると二度目のときだけ来ていなかった。

辺戸岬と残波岬・・
沖縄本島の岬のなかではこの二つが好きかな。
辺戸岬は風光明媚ではないが、沖縄本島の最北端に位置して、
与論島と祖国復帰を願ってかがり火を燃やし続けた歴史がある。
辺戸岬にたって「祖国復帰闘争碑」をみていると、
あらためて沖縄の人たちの悲しみを感じるのである。



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ツバメ魚と遊ぶ

2011年02月26日 | 沖縄


船頭さんは、ツバメ魚だと教えてくれた。



魚影が濃い、船頭さんから渡された麩をつまんで海中へいれてみたら、
ツバメ魚に指を突かれてビックリ!
海釣りをやっていたから、こんなことで驚くわけないのだが・・

麩を2mぐらい放ってカメラを構える。
ほんの1~2秒で魚が海から跳ね出してエサをくわえ込む。
なんせ客は二人きり、気のいい船頭さんは麩ひと袋全部くれたので、
真栄田岬のお魚にたくさんエサをばらまいてきた。



夢中になっていると、
さて、そろそろホテルへ戻る時間になって・・
あれがルネッサンスリゾートオキナワだよ。

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はりゅう船は”貸切”

2011年02月25日 | 沖縄


”はりゅう船”に乗ってしまった。
目指すは真栄田岬、絶好のスキューバーダイビングポイントとか・・
なんと客はわれわれ二人だけであった。
完全な貸切である。

岸壁に大きな穴がいくつかあいている。
船頭さんの話しでは、
太平洋戦争の末期、米軍はここ恩納村の浜辺から上陸したということだ。
もしかして艦砲射撃の跡かもしれない。



そろそろ岬だが、
中央部のガラスの船底を見ていたら大きな魚影がぬっとあらわれた。
ジョーズか。(さすがにそれはナイ!)



あっ、さかながたくさん!すごい!すごい!


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はりゅう船に乗って魚を見に行こう!

2011年02月24日 | 沖縄


おお、ベランダからみていると東シナ海は幾重にも色が重なってみえる。
これぞ南国の海なんだね。

でも、ビーチまでくると早くも妖しげな雲がでてきた。
おやおや天気予報のとおりか・・
これからどうするか、辺土岬まで走るか、
それとも美ら海の水族館のジンベイザメに逢いに行こうか。





”はりゅ船”が軽やかに波をきっていた。
あれに乗って真栄田岬までゆけばサンゴ礁に棲む魚が見られるらしい・・
よしこれに決めた!
「雨が降れば途中で戻るかもしれませんよ」
そんな説明のさなか、突然のスコールがきたので思わず顔を見合わせて笑ってしまった。
でも、すぐやみそうだ。

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斎場御嶽から久高島をながめる

2011年02月23日 | 沖縄


港川人の石棺が発掘された武芸洞・・
人骨の体長は約150センチとか、港川人(男)の平均身長であるそうだ。

旧石器時代に続く縄文時代の人骨はほりのふかい顔立ちで、小柄のがっちりした体格である。
港川人は縄文人とほぼ同様の特徴をもっていることから、
現在もっとも確実な日本人の祖先として位置づけられている。


ガイドさんの説明さなか、
好奇心旺盛な子供がなんども質問するものだから、
お母さんはたまらず、”シー”・・

大きなガジュマルをみて、
「ブロントサウルス(大型の草食恐竜)にそっくり!」と叫んだ少年にとって、
太古の歴史は夢であり憧れなのである。



斎場御嶽は琉球王朝最高の霊地である。
御門口から奥にはノロ(女司祭)やユタ(女霊媒師)などの神女が取り仕切る神域なので、
当時は男子禁制(首里王 以外)であったらしい。



人という字にみえる大きな岩をくぐると、
うっすらと久高島がみえる。
久高のノロは琉球最高位の地位を占める神女ということで、
久高島は最も神聖な島なのだ。



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ガンガラーの谷は元始の谷

2011年02月22日 | 沖縄


沖縄へ行ったとき、
”ガンガラーの谷”のツアーに是非参加したいと思っていた。



「ガジュマルは歩きます」
「ええ?」
「垂れ下がる気根が地面に付くと根となり徐々に位置を変えていくからです」
「なるほど!」



鍾乳洞が崩壊して出来たガンガラーの谷の奥深く未開の森がひろがっている。
ガジュマルの木々がたくましく根をはって伸びてゆくさまは、まさに元始の谷であった。

この森で港川原人の人骨が発掘された。
約1万8000年前の旧石器時代・・
日本最古の原人は確かにガンガラーの谷で生きていたのである。



洞窟探検にカンテラは必需品だ。
洞窟の入口近く、天井部分の岩陰に小さな蝙蝠を見つけた。
といってもガイドさんが教えてくれたのだが・・

ガジュマルの気根が幾重にも絡み合って太くなっている。
何年か何十年かたつと、このあたり一帯はガジュマルによっておおわれることになるだろう。

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古宇利島を一周した

2011年02月21日 | 沖縄


昼食は「花月」の”嵐げんこつラーメン”にした。
有名なのは沖縄そばだが、ラーメンだって意外?と旨い。
日ハムファイターズがキャンプしている名護は混雑していた。
斎藤祐樹選手の人気はすごいね、本番でも活躍してほしいものである。

古宇利大橋を渡って古宇利島を一周・・
島は素朴な離島そのまま、観光客がいなくていいなあ、
きれいな砂浜をひとり占め!

円筒状空洞地形群の奇岩・・





今帰仁城跡に着いたときはそろそろ暗くなってきた。
一般的なイメージのお城とはちがって、最初みたときはグスクの石積みに驚いたものである。
八重山桜の背景が今帰仁の城郭。


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ビオスの丘 カワセミと合う

2011年02月20日 | 沖縄




やあ、いい天気だよ・・
そうだ、これから”ビオスの丘”へ行ってみよう!



ビオスの丘はランの花で飾られていた。
でも、ここの園内は船でまわるほうがいい、
大げさなドラの音に送られながら、しずしずと船は桟橋を離れる・・

「あれっ、カワセミだ!」
夢中になってシャッターを押したが、普通レンズなうえ被写体が小さくて、
画像をトリミングしてみたが、どれもピントがずれていた。
でも、はじめてカワセミをみられて嬉しかった。

白鷺が悠々と水面を滑走している。
のどかな風景である。



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沖縄は五回目・・

2011年02月19日 | 沖縄


大雪の北海道から逃れて?
沖縄へ・・
那覇の気温は14度、風が強くてまわりの人は寒そうだが、
札幌と比べれば、これでも暖かいくらいである。



恩納村の”ルネッサンスリゾート”が定宿である。
八階の部屋に入ると皿盛りのフルーツがサービス?、これはスターフルーツとか。
切ってみたら、まさにきれいな星型であった。
ジューシーな味というが、わたしは食べなかったからわからない。

ベランダから夜のプライベートビーチを眺めていた。
白波がみえる、明日は天候が回復することを期待して!

沖縄キャンプの中日ドラゴンズの選手が泊っている。
エレベーターのなかで和田選手をみかけた。

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