屯田物語

フォレスターとα6000が
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「本能寺」 池宮彰一郎

2024年11月28日 | 
石狩図書館で池宮彰一郎著「本能寺」上下巻を借りてきた。これから読むことになるが、本能寺の変は誰でも知っていることなので、AIに500字くらいの感想文を書いてもらった。以前に「天下騒乱」-鍵屋の辻-を読んでいるが、藤沢周平や山本周五郎が大好きな時代小説ファンにとっても満足のいく作品であったので、更に池宮作品を楽しもうという気持ちになったのである。

Copilotの感想文↓
池宮彰一郎の『本能寺』は、織田信長の最期を描いた歴史小説です。この作品は、単なる歴史の再現に留まらず、登場人物たちの内面や時代背景を深く掘り下げています。池宮氏は、信長の魅力とともに、その人間性をリアルに描くことに成功しています。信長の野望と悲劇が生々しく描かれる一方で、彼を取り巻く人々の心理や人間関係にも焦点を当てています。
特に印象的なのは、光秀との関係性です。池宮氏は、光秀が信長を討った動機を複雑に描写し、単なる反乱ではなく、深い葛藤と決断の末に至ったことを強調しています。光秀の心情の変化や葛藤が丁寧に描かれており、彼の行動に対する理解が深まります。
全体として、『本能寺』は歴史的事実をベースにしながらも、フィクションとしての魅力を十分に発揮しています。池宮氏の緻密なリサーチと巧みなストーリーテリングが結びつき、読者を戦国時代に引き込みます。彼の描写力により、登場人物たちの人間らしい側面が浮き彫りにされ、読後には深い余韻が残ります。歴史小説としての価値だけでなく、人間ドラマとしても一級品の作品と言えるでしょう。



水上勉「飢餓海峡」改訂決定版

2024年10月14日 | 
前回のオンライン会のとき、洞爺丸台風のことから水上勉の「飢餓海峡」の話題になりました。
読み返してみようと思って、本は持っていたけど紙が茶色ぽく変色していたので石狩図書館から飢餓海峡(上下)を借りてきました。昨日、三日かけて読み終えたところです。雷電の朝日温泉とか下北の仏ヶ浦とか昔訪れたことがある地名が出てきて、頭のなかに映像を浮かべながら読んだので本のなかにすっかり没入することができました。
 水上勉の「飢餓海峡」は、戦後の日本を舞台にしたミステリー小説で、社会の暗部や人間の本質を鋭く描いています。この作品は、戦後の混乱期における人々の苦悩や絶望、そして希望を描き出しています。
物語は、ある殺人事件をきっかけに始まり、主人公の刑事が事件の真相を追い求める過程で、戦争の影響を受けた人々の姿が浮かび上がります。水上勉は、登場人物たちの心理描写を巧みに描き、読者に深い共感を呼び起こします。特に、主人公の刑事が抱える葛藤や苦悩は、戦後の日本社会の複雑さを象徴しています。
また、「飢餓海峡」は、社会の不正や腐敗を鋭く批判する作品でもあります。戦後の混乱期における人々の生き様や、社会の矛盾を描くことで、読者に深い考察を促します。水上勉の筆致は、緻密でありながらも力強く、物語の展開に引き込まれます。
全体として、「飢餓海峡」は、戦後の日本社会を背景にした人間ドラマであり、ミステリーとしての要素も兼ね備えた作品です。水上勉の巧みなストーリーテリングと深い人間洞察力が光るこの作品は、読者に強い印象を残します。戦後の日本を理解する上で、非常に価値のある一冊と言えるでしょう。
でも、八重の友人である時子が東京に住んでいたとき不審な人物が八重のことを知りたいと執念深く時子につきまといますが、この刑事ではない不審な人物の正体がさいごまでわかりませんでした。結局、彼は誰だったのでしょうか。わたしの読み落としがあるかと思って、AIに尋ねてみました。

以下AIからの回答です。なんか釈然としませんが・・

「飢餓海峡」に登場する不審な人物の正体については、物語の中で明確に明かされていません。この不審な人物は、八重の過去や彼女に関わる事件に興味を持っているようですが、具体的な身元や目的は最後まで不明のままです。このような曖昧さが、物語のミステリー要素を一層引き立てています。

騎士団長殺し

2023年12月27日 | 
新琴似図書館で本を借りてきた。
村上春樹の「騎士団長殺し」は、妻に離婚を切り出された画家の主人公が、友人の父親のアトリエで発見した日本画「騎士団長殺し」と、その絵に関連する不思議な出来事に巻き込まれていく物語である。この作品は、村上春樹の過去の作品と多くの共通点があり、彼の作風の集大成とも言えるが、それだけではなく、新たな挑戦も見られる。
この作品の特徴の一つは、日本画やオペラ、仏教や神話など、さまざまな文化や芸術が織り込まれていることである。これらは、主人公の現実と非現実の世界をつなぐ役割を果たし、物語に深みと広がりをえる。また、これらは、村上春樹が普遍的なテーマに取り組んでいることを示している。
例えば、生と死、愛と欲望、自己と他者、現実と非現実などである。もう一つの特徴は、主人公の成長と変化である。主人公は、妻に捨てられたことで自信を失い、自分の画家としてのアイデンティティを見失っている。しかし、物語の中で、さまざまな人物や出来事に出会い、自分の内面と向き合い、自分の描きたい絵を描くことに挑戦する。そして、最後には、妻との再会と和解を果たす。このように、主人公は、喪失から再生へと至る道のりを描かれている。「騎士団長殺し」は、村上春樹の作品の中でも、特に複雑で多層的な作品である。

でも、どちらかといえば彼の初期作品「ダンス・ダンス・ダンス」のほうが好きである。
「ダンス・ダンス・ダンス」に登場するホテルは札幌のホテルがモデルだといわれているが、このホテルに泊まったことがあるような既視感を感じるからである。


「蘇我氏の正体」 「藤原氏の正体」

2010年06月13日 | 


「ザ・コーヴ」に拠るまでもなく、
日本の食文化よりもイルカの保護が大事な欧米人と理解し合うことは至難である。
彼らにとって、わんぱくフリッパーを捕獲して食べる日本人は野蛮人なのだ。

さて、イルカはイルカでも、こんかいは蘇我入鹿のことである。
「蘇我氏の正体」「藤原氏の正体」(関裕二著)の文庫本二冊を読みおえたところだが、
古代人の名前の多くは難解なのでそこそこに読み飛ばしてしまった。

中大兄皇子・中臣鎌足は山背大兄王(聖徳太子の皇子)を自殺に追い込んだ蘇我入鹿を大悪人として誅殺した。
(乙巳の変)
はたして歴史の真実はなにか--
入鹿暗殺は律令制度を推し進める蘇我氏の勢力拡大を阻む皇族派の陰謀であった。
山背大兄王の自殺に入鹿は関与していた証拠はない。

中臣鎌足は亡命中の百済王であったという説があって、
中大兄皇子は蘇我宗家滅亡のあと、
無謀な百済救援(白村江の戦い)に踏み切った理由のひとつがここにある。

藤原不比等(中臣鎌足の息子)は「日本書紀」を巧妙に仕上げ、
「大化の改新」を勝者の手柄としたのである。




「1Q84」 

2010年03月09日 | 


村上春樹の「1Q84」のBook1を読みおわって、Book2を手にしたところ・・
「海辺のカフカ」も同じような手法であったが、
二人の主人公を登場させて、ふたつの物語が平行して語られてゆく。
そして、それが交叉したとき、どのような世界が展開されるのか楽しみである。

さて、物語は佳境にはいったが、
ようやく正体が明らかになりつつある ”宗教法人さきがけ”とは・・
いうまでもなく地下鉄サリン事件の ”オウム真理教”とイメージが重なっていかにも不気味である。

ベランダから手稲山を眺めていた。春近し、そんな風景だね。


「銃口」 そして旭川の錦座通り

2009年11月20日 | 


「銃口」 から・・

竜太の家のすぐ傍に、錦座通りという目抜き通りがある。
錦座というのは映画館だが、時折東京からの芝居もかかる。
・・・
その錦座があるので、錦座通りという。
呉服屋、薬屋、八百屋、菓子屋、かまぼこ屋、金物屋などがずらりと並んでいて、大きな市場もある。
この通りを北に四百メートル程行ったらもう学校だ。


たぶん竜太の家は4条16丁目・・
三浦綾子さんがここで誕生されたからね。
そして、大きな市場というのは第一市場のことではないかと思っている。

わたしは4条15丁目に住んでいた。
真向かいに松竹座という映画館があって、もともとは錦座と呼んでいたそうだ。
錦座が経営上の問題から松竹に移って、その名も松竹座と改名、
通りの通称も錦座通りから松竹座通り(いまは銀座通り)と変っていったのである。

5歳になったばかりの昭和21年1月の夜であった。
母(祖母かも)に思い切りたたき起こされたことをおぼえている。
玄関に出ると松竹座から出火した炎が闇を真紅に染めていたが、不思議と怖ろしさは感じなかった。

「銃口」上巻の前半は大成小学校が主舞台となって、神楽岡公園、上川神社、聖台などがしばしば登場する、
ふるさと旭川の昭和のそのときが懐かしく思い出されるのである。



三浦綾子記念館の駐車場・・
ストローブ松の樹間からフォレスターがみえた。(笑)


雪の神楽見本林

2009年11月19日 | 


「銃口」 を読み始めた。

昭和元年、北森竜太は旭川の大栄小学校4年生。
納豆売りをしている転校生中原芳子に対する担任坂部先生の温かい言葉に心打たれ、竜太は教師を志す。


三浦綾子の最後の長編小説であった。

昭和23年にわたしは大成小学校(小説では大栄小学校)に入学したから、
竜太の26年後輩にあたるのである。

昭和45年に大成は中央と統合し知新小学校と改称、
そして大成小学校の跡地にはイトーヨーカドーが建っている。



エゾリスに出遭うかと思って神楽見本林へ寄ってみた。
先日エゾリスを見かけたチョウセンカラマツの根元にしゃがみ込んで待ち構えていたが、
この日は姿をあらわさなかった。

日暮れにつれて三浦綾子記念館のあかりが明るくなってきた。
珈琲をいただきながら読書三昧、これぞ至高のひと時である。


レキシントンの幽霊

2009年06月27日 | 


富士フイルムフォトサロンで写真展、
いずれも感性豊かな作品にため息をつくばかり・・
そうはいっても、無理して真似することもなく背伸びすることもないわけで、
自分は自分なりに写真を楽しめればいいなあと思っている。

とにかく六月、とにかく暑いよ。

テレビ塔の真下で汗をながしてラーメンを食べる、さあこれからどうするか。
ギャラリー大通で油絵をみて、紀伊国屋書店で本を買って、珈琲を飲もう!
百円のサービス券もあるし・・
そう思ったら元気になって大通り公園を五丁目まで歩くことにした。

一枚目の写真、背景にぼんやりとテレビ塔が写っている、
もう少しだけそれがわかったほうがよかったかもしれない。



村上春樹の「1Q84」上下巻が平積みしてあった。
驚異的な売れ行きはペースダウンして、やっと普通に戻ったので安心である。
熱病のようなブームはどこか不自然でまともでない。

”われわれの心に潜むものとの対話”そして”過去の記憶と現実のずれ”・・
そんなテーマに興味があったわけでもないが、
「レキシントンの幽霊」を買ってしまった。
短編集なので珈琲タイムには丁度いいのかもしれない。


1Q84

2009年06月11日 | 


村上春樹の「1Q84」が驚異的なベストセラーになっている。
しばらくは手に入れるのはたいへんそうである。
どういうわけか三年くらい前から村上作品と縁が深くなって・・
まあ、共通するところ?もなきにしもあらずか、
内容は難しいというが、
表現は豊かで平易だし、頭が固くなったわたしでも素直にはいってゆけるから面白い。

いままで読んだ村上作品・・

「羊をめぐる冒険」
「ノルウェイの森」
「ダンス・ダンス・ダンス」
「ねじまき鳥クロニクル」
「海辺のカフカ」
「アフターダーク」
「スプートニクの恋人」


「ダンス・ダンス・ダンス」の中に出てくる”ドルフィン・ホテル”・・

昔、札幌出張のとき、
こんなホテルに泊まったことがあるような記憶があって、”いるか”はなかったけど、
たしか薄野にほど近い小さなホテルであった。



伏古公園の藤棚が見頃・・
新聞に紹介されていたので出かけてみた。


ダビデとゴライアス

2009年02月13日 | 


またまた旧約聖書の物語・・

ダビデとゴライアス ←詳しくはクリック
これもイスラエルとペリシテの争い・・
ペリシテはパレスティナの名前の由来となったというから、
パレスチナ紛争が何千年も延々と続いているのである。
イスラエル民族の一貫性ある信条はどこから生まれるのか、
これはとうてい他民族が理解できることではない。

ダビデは羊飼いの少年であるが、
ペリシテ人の巨漢ゴライアスと一騎打ちをして石投げで倒してしまうのである。

昔昔この手の史劇をみたが、なんとしてもタイトルが思い出せない。
あの決闘のシーンはおぼろげに憶えているのだが、
なんとかこの映画をもう一度みたいものである。

さても、旧約聖書の物語は面白い・・
それにしてもモーセの十戒にもあるが、
イスラエルの神は不信心なものには嫉妬深くて残酷であることよ。
(こんなこと書いたら不味いかなあ)