「道北を巡った歌人たち」(西勝洋一著) によると、
若山牧水、喜志子夫妻が斎藤瀏を訪ねて来旭し、十月二日から六日まで官舎に滞在する。
牧水が旭川にやってきた経緯と率直な行動がうかがい知れて面白かっ た。
あらためて「若山牧水歌集」を開いてみた。
牧水は旅先で旅中即興としていくつかの歌を詠んでおり、
斎藤家にお礼の意味を込めて五首の歌を半折に書いて残した。
牧水が揮毫した半折は掛け軸になって、
旭川井上靖記念館で開催された「斎藤瀏・斎藤史展」で公開されたことがあった。
末広の義妹宅の帰り、井上靖記念館に寄ったとき、たまたまその掛け軸が展示されていて、
旭川が牧水にとって縁浅からぬ地であったことを始めて知ったのである。
下記の五首のうちの一首目、「野葡萄のもみぢの色…」は春光台の歌碑に刻まれている。
三首目と四首目は斎藤家に揮毫された歌ではないが、
選者・若山喜志子さんのあとがきによれば、
この歌集は牧水の歌、約七千首から二千首あまりを選出したそうで、
牧水は昭和三年(四十四歳)で亡くなったが、あと十年長生きしていたら、
作歌は一万首を超えていたに違いない。
「若山牧水歌集」から
北海道旭川斎藤瀏君方にて
野葡萄のもみぢの色の深けれや落葉松はまだ染むとせなくに
柏の木ゆゆしく立てど見てをれば心やはらぐその柏の木
兵営の喇叭は聞ゆ暁のこの静かなる旅のねざめに
旭川の野に霧こめて朝早し遠山嶺呂に雪は輝き
時雨るるや君が門なる辛夷の木うす紅葉して散り急ぐなる