屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

夏に向かうこのごろ

2020年06月09日 | 摂津国の怪人


やれウイルスだ、自粛だと騒いでいる人間社会をさておいて、自然界は時節が来れば毎年季節通り咲くものは咲くので、少しは安心します。
土手の太刀葵と金鶏菊も花をつけ、咲き誇っております。

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女流詩意気込み虚し

2020年05月11日 | 摂津国の怪人


「男性に隷属の置位におかれる不自由の中で、寸暇もない慌ただしさの中でうたわねばならないのです。厨の片隅にお味噌をすりながら、夫の脱ぎ捨てた着物を畳みながら、愛児への添乳に肩をこらしながら、…云々。私達女姓の心血を注いだものです。良く味わっていただくことが出来たら幸ひです。悲しんだり,引込み思案をしたりなどしなくともいゝんです。勇敢に思い切ってうたひましょう聲の続く限り。女性の世界を明快に、宏大にひろげませう皆さん。」
女流詩の會 雑記:塚原英子


残念ながら「女流詩の會」は「日本海詩人」の衰退もありこの一刊を以て終わっている。

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「北陸の女流詩人・大原菊子」

2020年05月05日 | 摂津国の怪人


大村正次が主宰する「日本海詩人」の分流として大原菊子(大村正次夫人)他同人14名は、昭和6年3月「女人詩」を発刊した。
夫の世話や家事をこなし子供を育てながら、女性の地位の低い時代にあって「女流詩人ここに在り!」と産声を上げたことは特筆に値する。
生活に根ざした作詩が多いので読み手に安堵感を与えていることが一番良い点かもしれない。

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「ふくろう」 大原菊子

2020年05月04日 | 摂津国の怪人

昔、男の子誕生のさい求めた五月人形、今はその子らも巣立ち一年に一度の出番しかない五月人形に、陽の目が当たらないのは可哀そう!と心を寄せ、飾りつけをするのは、人形にも魂あるものとする老いた自分の心情なのかもしれない。

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大原菊子の結婚と別離

2020年05月02日 | 摂津国の怪人



「大村キク」(旧姓金岡、ペンネーム大原菊子)は学事関係職員録によると大正7~8年(1918~1919年)には旧姓「金岡キク」、大正9年(1920年)には新姓「大村キク」と記載されていたので大正8~9年頃に「大村正次」と結婚したようだ。
1974年版(昭和49年版)石動高等学校編刊に「大村キク 家庭 鹿島2-6 昭和14.6.25~18.2.16」との在籍記録があり、1986年版(昭和61年版)の職員名簿には「物故」として記載されている。
そのときの住所は「富山市東岩瀬福来***」となっていた。
1986年版(昭和61年版)が何時編集されたかということだが、昭和49年「正次」が没した地が富山市東岩瀬福来町なので、「キク」も離婚後(昭和35年)は故郷富山市の正次の住んでいた同じ「福来町」に帰っていた。
昭和38年(正次帰郷)~49年(正次没)の間は元夫婦は同じ町内に住んでいた可能性がある。

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藤の花の季節です

2020年04月28日 | 摂津国の怪人


近所の藤棚の藤の花も色付いてきました。
毎年思い出すのは丹波氷上にある「白毫寺」にある「九尺藤」『花房が九尺(約270cm、ややオーバー表現)』の異名を持つ見事な藤の花です。
今年は外出自粛の折柄、見ることは出来ないのではと、それがちょっぴり残念です。

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大村先生の心象はいずこに

2020年04月27日 | 摂津国の怪人


  詩集 望郷
  著者 宮崎健三


O先生とは旭川東高校の生物担当教諭・大村正次のことである。
大村は生国富山で詩誌「日本海詩人」を主宰し、詩集「春を呼ぶ朝」を発表するなど詩才溢れる抒情詩人と評価されていたが突然断筆した。
富山を出て旭川東高校の教師になったが、詩人としての足跡は母校の逍遥歌にその詩才を残しただけである。
そして退官と同時期に離婚して再婚した。
晩年、故郷に帰っての孤独な暮らしは、見る人にとってうらぶれた感じを与えたのかもしれない。
一体この「詩人の魂」は何処に在ったのだろうか。

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