井上泰(靖)日本海詩人5-1号投稿詩・「みかん」 2020年01月31日 | 大村正次 緑岳頂上付近 「井上泰(靖)」は昭和30年、講演会で旭川に来た際、「大村正次」と二十数年振りに再会した。きっと懐旧談に時を忘れる程であったろう。 摂津国の怪人 「井上泰」日本海詩人13篇投稿中の一詩「みかん」を紹介したい。 みかん これはまた何とすなほな黄いろいいのち。 カチリ どこでか、石英のぶつかる音がこぼれて りょうりょうと、十月のそらは済ましてゐる。 みかんよ なぜ、ぽっかりとはぢけないのだ。 そのすっぱい液汁をかっとばして 十月の蒼空へ お前のまるいいのちをぶつけてやらないのだ。
山蔭の芒 2020年01月30日 | 春を呼ぶ朝 「春を呼ぶ朝」には59の詩篇が収められています。 今日まで「屯田物語」では36篇(黄色)を紹介してますので、右のカテゴリから「春を呼ぶ朝」をクリックすると詩篇がすべてご覧になれます。 大村正次著「春を呼ぶ朝」―真珠― 山蔭の芒 日暮 陽のかげりたる 山蔭の芒は うなだれて 黒いおのが下蔭に さみしく呑まれてしまふのだ。
巓の芒 2020年01月29日 | 春を呼ぶ朝 八ヶ岳の最高峰・赤岳の山頂。 息子が赤岳頂上小屋でアルバイトをしていたので、ご主人の好意で別室に寝かせてもらった。 お盆で混んでいたけどとても親切にしていただいて恐縮した。 赤岳~黒百合ヒュッテ~渋温泉まで快適な北八つルートはいまでもよく覚えている。 34年前のことである。 大村正次著「春を呼ぶ朝」―真珠― 巓の芒 巓(いたゞき)の一叢の芒 ひとり静寂の坐を占め をりをり 手近の白雲(くも)を招(よ)ぶ。 城址の一叢の芒 ひとり静寂の坐を占め その昔(かみ)の とゞかぬ晝の月を戀ふ。 (二上山にて)
山上の秋 2020年01月28日 | 春を呼ぶ朝 翌日は常念岳~燕岳へ縦走の予定であったが、天候が回復しないため断念! JR穂高駅から帰京した。 大村正次著「春を呼ぶ朝」―真珠― 山上の秋 暮れかゝる秋の山脈(やま)は 平野につゞく谷谷に ほそぼそ炭焼きの煙をあげ 夕闇はそこから這ひ上がる。 ひそひそと這ひ上がる。 雲間を離れた夕陽のスクリンは まぢかの山の斜面を射(さ)し あゝいちめんの芒原 光る若芒― 暮れ行く巨大な黒馬の背に さんさんと流れる銀の鬘だ なんといふすばらしい山の騎士のあいさつであるか 山上を落つる日よ。 さらば俺達は暗い麓の家へ帰ろ。 小さい燈明(あかり)のついた家へ帰ろ。
人魚水浴圖 2020年01月27日 | 春を呼ぶ朝 常念岳直下 最後の岩場を登り切れば頂上だ。 常念小屋でのんびりと・・ビールが旨かった。 大村正次著「春を呼ぶ朝」―真珠― 人魚水浴園 群青の海に 一群(むれ)の 華奢(きやしや)な人魚がならんで水を浴び ときめく胸をひたし のびきつた白い腕(かひながふうわり海を掬ふ。 群青の海に 午前(あさ)の光が屈折し 鷗のやうにちかちかするもの きやつ、きやつ、 躍り、弾けるもの。 群青の海に ぽつかり 粋(いき)な日傘 (雨晴海岸にて)
不思議の人・詩人大村正次先生 2020年01月26日 | 大村正次 昭和36年 緑岳山頂 詩人「大村正次」は、作家「井上靖」の文学デビューに立ち会ったことで知られている。 井上靖は金沢第四高等学校在学中に当時石動に住んでいた大村を訪ねたことが切っ掛けで、大村が主宰する詩誌「日本海詩人」に井上泰の名前で13篇の詩を発表することになった。(井上靖著「青春」に詳しい。) 「井上」は旭川生まれだが、「大村」も戦後旭川東高の教師になるという地縁で繋がることになる。 摂津国の怪人 「孤獨」-井上泰―「日本海詩人」昭和4年6月号掲載。 私には何もいらない。 不思議にも巡りきた二十二年の歳月を 私は確りと握ってゐる。 あの人の心も、友の心も いつか、私をおいてけぼりにしたけれど、 二十二年のやさしい月日は私の何處かで微笑んでゐる。 何も判らない童話の様な明日(あす)が 私から離れられない昨日になるのを 私は、夢の様な心でみつめてゐる。
雲 雀 2020年01月25日 | 春を呼ぶ朝 涸沢~横尾~蝶ヶ岳~常念岳に至る縦走路。 蝶ヶ岳までは晴れていたが、だんだんと霧がかかってきた。 どうやら低気圧が近づいてきたようで、明日は雨が降るかもしれない、 今夜は常念小屋に泊まって、明日は燕岳まで行きたい。 蝶ヶ岳:標高 2、664m 常念岳:標高 2、859m 燕 岳:標高 2、763m 大村正次著「春を呼ぶ朝」―真珠― 雲雀 あけがたの霞の奥で ほがらかに 野を呼びさますひばり。 ひときは青い麥畑から 一直線に揚がる雲雀 あたゝかい陽の 名の花の香(かほり)をかいで 緩かに歌ふ雲雀 蒼空に 一点の雲雀。 雲雀 雲雀 終日(ひねもす)歌ふがまだ陽は落ちぬ。
春 楓 2020年01月24日 | 春を呼ぶ朝 上高地。念願の常念岳に向け勇躍出発! 蝶ヶ岳山頂付近の尾根道・・ 左から奥穂高~涸沢岳~北穂高岳~大キレット~槍ヶ岳・・ 昨年縦走した北アルプスの有名どころの山々が眼前に迫ってくる。素晴らしい光景だ。 北穂から常念岳を臨む。 注:左の写真はフリーフォトからお借りしたものです。 大村正次著「春を呼ぶ朝」―真珠― 春 楓 薄紅い掌を翳し 掌を連ね 仄かに乙女(ひと)の唇(くち)を染め 煙れる朝の雨に立ち 一脈の愛憐を漲らし
田 螺 2020年01月23日 | 春を呼ぶ朝 北アルプス 上高地~涸沢小屋~奥穂高岳~涸沢岳~北穂高岳を縦走! 北穂高山荘に荷物を置いて、夕暮れせまる槍ヶ岳の山容に見とれていた。 槍を登りたいと思っても、北穂から槍ヶ岳へ行くためには北アルプスでは難所のひとつ大キレットを越えなければならない。 (キレットとは漢字で「切戸」、山と山をつなぐ尾根が深く切り落ちている場所) 北穂から常念岳が見える。次は常念岳に登りたいと思った。 (写真説明) 上;涸沢岳 標高 3,110m 中;北穂高岳 標高 3,190m 下:槍ヶ岳 標高 3,180m 大村正次著「春を呼ぶ朝」―真珠― 田 螺 生温い 雪解の曇り日を ひょろろ ひょろろろろ...... あれは 田螺が鳴くのだ。 汚いどつかの泥溝で。 悩ましい 三月の 春の慕情をゆすぶつて ひょろろろろ田螺が鳴くのだ。 汚いどつかの泥溝で。
不思議の人・詩人大村正次先生―幾度かの富山訪問に見聞きした体験に 基ずくー 2020年01月22日 | 大村正次 昭和35~39年頃・・ 裏大雪緑岳頂上付近から高根が原方面を望む 推論:富山の文学風土について(その二) 富山文学の嚆矢といえば「大伴家持」を挙げなければならない。「越の国」の国守として赴任した五年間で二百余首の和歌を詠んだといわれる。高岡市では「万葉集全20巻朗唱の会」が三昼夜に亘り行われているので、家持の名は今でも地元にしっかりと根付いている。 富山の文芸・文学は近世になり、実学、俳諧、漢詩など一部武士階級、町人、農民などを中心に発展していった。特に19世紀になって漢学を学び漢詩に親しむ者が多数あらわれたとされている。 詩才と共に漢詩の素養があった「大村正次」は昭和7年「日本海詩人」の廃刊後詩筆を絶ってから、女学生の前で漢詩と和歌の朗詠を行うなど、後年になって漢詩への傾斜が見られたのも富山の風土のせいなのかもしれない。 正次の「文字への渇望」止み難く、以後漢詩へと向かったわけである。 摂津国の怪人