屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

積丹半島 岬の湯

2005年08月28日 | 
旅先からの投稿です。
これから、層雲峡でクラス会、翌日はオロロンラインを北上して初山別、サロベツ原野
まで行きたいと思っています。

先日、夕日を求めてオタモイ岬から積丹半島を巡ったとき、”岬の湯”にも立ち寄って
きました。
神威岬がきれいに見えますね。
あなたも一緒にお湯に浸かって、静かな日本海の景色を味わって下さい。



積丹岬の幌武意海岸
そろそろ夕陽が近い、落日まであと30分。。


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望岳台 初秋の午後

2005年08月27日 | 
台風一過
十勝岳の噴煙は天空を突き抜け、
白い雲間からのぞく陽光は美瑛岳、美瑛富士の
頂を柔らかく照らしている。
蝦夷リンドウの淡い紫色のつぼみは、
岩陰にまだ息をひそめていた。
花は日光を受けると開き、夜は閉じるという。
初秋の午後



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旭岳の早い朝 

2005年08月26日 | 
早朝の冷え冷えとした空気のなか、
旭岳のくっきりとした姿は美しい。
旭岳温泉の懐かしい自然に囲まれて、
朝のゆっくりした時間は少しずつ過ぎていった。

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オタモイ岬のニシン御殿も今じゃさびれて・・

2005年08月25日 | 
「オタモイ岬」
「オタモイ」とはアイヌ語で、「砂浜のある入り江」という。
むかしは、断崖のうえに立派な鰊御殿がたっていた。
しかし、それも火事で消失。
いま、これほどの景勝をかかえながら、観光客もまばらである。
この日は快晴、空は貫けるような青、海は透き通るような青に染まっていた。
ミツバフウロ、クズ、キツリフネ、ノコギリソウなどの野草が目に留まる。
オタモイ地蔵まで、少し歩こうよ。。

 海猫が鳴くから ニシンが来ると
 赤い簡袖の ヤン衆がさわぐ
 雪に埋もれた 番屋の隅で
 わたしゃ夜通し 飯を炊く
 あれからニシンは どこへ行ったやら
 破れた綱は 問い刺し網か
 今じゃ浜辺で オンボロロ オンボロボロロ
 沖を通るは 笠戸丸
 わたしゃ涙で ニシン曇りの 空を見る

 燃えろ篝火朝里の浜に
 海は銀色 ニシンの色よ
 ソーラン節に 頬そめながら
 わたしゃ大漁の網を曳く
 あれからニシンは どこへ行ったやら
 オタモイ岬の ニシン御殿も
 今じゃさびれて オンボロロ オンボロボロロ
 かわらぬものは 古代文字
 あたしゃ涙で 娘ざかりの夢を見る









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積丹半島の夕陽 現実と幻想の境

2005年08月25日 | 
朝から快晴、余市から積丹岬を目指す。
神威岬を左舷に見て、陽まさに沈まんとするわずかな一瞬。
このとき、陽と天地をわける境界線だけあればよいと思った。
しかし、白絹のような薄雲が陽光を微妙に映し、幻想的な美しさを
演出している。
このときを立会えることに深く感謝する。






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神楽見本林 新しい野花の発見 

2005年08月23日 | 旭川の風景
神楽見本林を歩く。
ここに住んでいた頃は、たいして感慨もなく過ごしてきたが、
いつのまにか、こういう時間を大切に思えるような年齢になってきた。
今、見つめているものは過去の自分と違う、他の人とも違う、
そうやってまわりを眺めたとき、水も樹も草花も空気さえが新しい。

神楽見本林は1898年にストローブマツ・ヨーロッパカラマツ・ヨーロッパアカマツ・
ヨーロッパトウヒの4種類の苗木を初めて植栽してから100年の歴史を持つ。
これら外国樹はともかく、野草は自然のままである。
さすがに8月中旬ともなれば、草が生い茂っていて野花も少なくなってきた。
ミツバフウロ があちこちに咲いている。
羆と出合いそうな雰囲気だが、さすがにここは心配ない。



ツユクサ、
「氷点」のなかにツユクサに関する記述があった。
その箇所を探してみたがみつからない、たしか別名で書いてあったのだが。
誰か教えて。。



ハエドクソウ、
昔、この植物のしぼり汁をハエ取り紙にした地方があった。。



クサノオウ、
草の黄、葉や茎を切ると液が出て、空気にふれるとオレンジ色に変わるらしい。



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美瑛川と畔に咲く野草たち 

2005年08月22日 | 
「氷点」の舞台となった旭川、そこには六条教会、三条食堂、丸井デパート、富貴堂など
旭川市民にはおなじみの場所が描かれている。
とくに六条教会は「塩狩峠」でも重要な舞台となっている。
ぜひここを訪れたくて、6条10丁目の町内を車で一周したけど見つけられなかった。
六条教会は「塩狩峠」のモデルになった長野政雄さんが講話したところでもある。
今度は歩いていくことにしよう。

神楽見本林の裏に流れる美瑛川、上流に釣人がいる。
この日はやや薄曇、
畔にミヤコグサとエゾノコンギクが咲いていた。



ミヤコグサ
西洋都草なのかな、ふわっとして食べたくなるような花である。



エゾノコンギク
蝦夷野紺菊、細くすらっとしている花びらが美しい。




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「氷点」 ”ちろる”で夏枝は村井と会う

2005年08月21日 | 
”ちろる”の主人は詩人であった。
その詩人らしい雰囲気が店にもただよっていた。
少しこんではいたが、店の中はいかにも静かであった。
夏枝は大きな棕櫚のかげのテーブルについた。
夏枝は一人で喫茶店にはいることなど、ほとんどなかった。
だから何かしらない街にでもきたような、新鮮なかんじだった。
時々、夏枝は周囲の視線をかんじた。
その一人一人に、微笑を送りたいような大胆なものが、夏枝の心の中にあった。

三浦綾子著「氷点」から


ここ3条8丁目にある喫茶店”ちろる”は昭和14年に開業した。
レンガ壁の雰囲気は、いまも昭和29年当時(夏枝が訪れたとき)と変わっていない
ような気がする。

高校一年のとき、休みで帰旭した兄から彼女へデートの連絡を頼まれたことがある。
彼女は同じ高校の三年、休み時間にそのクラスに出向き、彼女を呼び出して兄の
ことづてを伝えた。
上級生がじろじろ見ているので、ちょっと緊張する。
兄と彼女の待ち合わせ場所はいつも”ちろる”であった。



棕櫚のかげではないけど、この席で夏枝は村井と会ったのではないか、と思う。


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三浦綾子文学記念館 「氷点」の映像

2005年08月20日 | 
林の中に夕光が漂っていた。
煙っているような光であった。
木の間越しに斜めに射す光はところどころにしま目を作っていたが、
そのしま目もおぼろであった。
「ルリ子がいないのか」
低いが、厳しい啓造の声がした。
夏枝はギクリとして後を振り向いた。

三浦綾子著「氷点」から


ルリ子が居なくなったのはこのような夕暮れ近くである。
夏枝と啓造夫婦、愛憎と嫉妬に苦しみながら、これからの二人の人生を不吉に
予感させる場面。
辺りが薄暗くなると、三浦綾子文学記念館を囲む樹々はきゅうに黒ずんできた。
木の間越しに射す光はだんだん弱くなり、あの場面へとわたしを導く。






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神楽見本林 「氷点」の世界

2005年08月19日 | 
「辻口家は、この見本林の入口の丈高いストローブ松の林に庭つづきとなっている。
美しいいちいの生垣をめぐらして低い門を構え、赤いトタン屋根の二階建の洋館と、青い
トタン屋根の平屋からなるがっしりとした家であった。
この見本林を三百メートルほどつきぬけると、石狩川の支流である美瑛川の畔に出る。
氷を溶かしたような清い流れの向うに、冬にはスキー場になる伊の沢の山が見え、遥か
東の方には大雪山につらなる十勝岳の連峰がくっきりと美しい。」

三浦綾子著「氷点」から


三浦綾子文学記念館 は神楽見本林のなかにある。
昭和56年まで、見本林の側に住んでいたので、わたしにとってもここは庭のよう
であった。
その意味では「辻口家」と同じである。
「氷点」の舞台は昭和21年、
神楽見本林はそのころとさほど変わったとは思えない。
いまでも、ほとんど手付かずのままの自然な姿をとどめているようだ。

三浦綾子の本を読んだことがあるのなら、是非一度訪れてほしい。
「ひとはどのように生きたらいいのか」という三浦文学の問いかけに導いてくれる
かもしれない。
三浦綾子さんの生き方に多大な影響を与えた前川正氏の写真を見て、感無量で
あった。
「塩狩峠」や「氷点」のビデオも鑑賞できる。



石狩川の支流、美瑛川の川面が夕陽で煌いている。
「氷点」では、この川原で夏枝の娘ルリ子が殺害された。



暑い夏の日差しを見本林の木陰にさけて、夕暮れまえのひとときを散策、
まだ、あちこちに干からびたようなオオハンゴウソウが咲いている。
当時はこの外来種は繁殖していなかったのだろう。

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