朝に(混声合唱組曲「光のために」より) 2021年02月07日 | 立原道造 おまへの心が 明るい花の ひとむれのやうに いつも 目覚めた僕の心に はなしかける ・・・ ”おまへ”とはアサイさんのことだ。 立原道造の「優しき歌」は十一編の詩から成るソヌットで、アサイさんに優しく語り掛けるようなフレーズから始まる。 だから、最初の一行ですっと詩の世界に引き込まれていくのである。 立原道造詩集 「優しき歌」から序の歌 「朝に」 「五月の風をゼリーにして持って来て..」 結核で死の間際にある詩人・立原道造が恋人の水戸部アサイにかけた最期の言葉となった。
「優しき歌」から「夢みたものは」 2020年05月15日 | 立原道造 立原道造詩集「優しき歌」から「夢みたものは」 立原道造にとって「優しき歌」は特別な詩集であった。 結婚に際して花嫁の水戸部アサイに贈るべき、手書きの詩集として準備をしていたからだ。 そして、全11篇のソネットの最後の一節をこう結んだのである。(「新生の歌声」安藤元雄から) 夢みたものは ひとつの愛 ねがったものは ひとつの幸福 それらはすべてここに ある と 大月フェリーチェさんの動画です。素晴らしいハーモニーです。
「優しき歌」から「樹木の影に」 2020年05月14日 | 立原道造 立原道造詩集「優しき歌」から「樹木の影に」 江古田での彼を泊まり込みで看護したのは、許嫁者であった水戸部アサイだった。彼女はここで、文字通り母に代わったのだ。これはもしかすると立原道造にとって、その短い生涯の最後にほんの幾日かの間だけ実現した本当の幸福だったかもしれない。 立原道造の死後しばらくして、アサイは他家に嫁ぎ、1995年三月、76才で穏やかな一生を終えた。 「新生の歌声」 安藤元雄
「優しき歌」から「Ⅴ また落葉林で」 2020年05月10日 | 立原道造 立原道造詩集「優しき歌」から「Ⅴ また落葉林で」 画像は水戸部アサイさん(石本建築事務所内) 堀多恵子さんは、アサイさんのことを「楚々として高原に咲く花のようだ」と語っていたが、少女のようなお顔をみるとたしかにそんな感じがする。 野幌森林公園で10年前に撮った白花の延齢草。 水芭蕉もエゾエンゴサクもヤチブキも今年は春の花をなにも見ていない。 まだ自然を愛でる気分になれないが、新型コロナが収束(終息はない)して、みなが安堵できるような社会になればよいと願っている。
「優しき歌」から「Ⅳ 夢のあと」 2020年05月09日 | 立原道造 立原道造詩集「優しき歌」から「Ⅳ 夢のあと」 写真は水戸部アサイさん ”おまへ”とは立原道造の恋人、水戸部アサイさんのことだ。 左の機材(omoidori)をつかえば、本からアルバムからでもなんでもスキャナできる。 外の光源をシャットアウトして、本体の左右から同時に光をあててシャッターを切るというわけだ。 立原道造の詩やアサイさんの写真はomoidoriでスキャナしたのである。
「優しき歌」から「Ⅲ さびしき野辺」 2020年05月07日 | 立原道造 立原道造詩集「優しき歌」から「Ⅲ さびしき野辺」 画像は立原道造です。 北都中3年6組のクラスメイト(昭和32卒)五人で「四季の会」というライングループを立ち上げた。 オンラインとはいえ幼馴染なので、けっこう会話は盛り上がる。 元M大の漫画集団の一員として、ラインに一コマ漫画を描いて感謝の意を表したのであった。 もっとも、この画について誰もコメントくれなかったけどネ・・
「優しき歌」から「Ⅱ 落葉松林で」 2020年05月06日 | 立原道造 立原道造詩集「優しき歌」から「落葉松林で」 写真は「風立ちぬ」の著書 堀辰雄・多恵子夫妻 マンション前庭にはチューリップの花が咲きました。 百合が原公園のチューリップやムスカリも綺麗なんだろうと思うけど、外出自粛中なので今少しの我慢なのです。
「優しき歌」から「Ⅰ爽やかな五月に」 2020年05月03日 | 立原道造 「楚々として高原に咲く花のような感じを受けた記憶がある。」 堀多恵子さん(堀辰雄夫人)は水戸部アサイさんに会ったときの印象をこのように語っていた。 五月になっても、いつコロナ騒動が収まるかまったく見当もつかない。 わたしたち年寄りはじっと閉じこもっているしかありませんが、医療や介護に従事している方々に深く感謝申し上げます。