2015.3.10(火)強風小雪舞う
朝の連続テレビ小説「マッサン」
出征した一馬さんは生きて帰ってこなかった・・民間人までが戦争に行かなければならなかった時代。
父の出征前の記念写真がある。樺太で暮らしていたので内地の親族は写っていない。父と母(右)、そして父の父(右上)、親戚の夫婦の5人で撮ったもので、はっきりとした年月日は分からない。母に聞いても「忘れてしもた」と。
昭和17~18年頃だろうか?父は22~23歳?父は上敷香(かみしすか)の陸軍病院のお医者さんの助手をする衛生兵?だったらしい・・・
戦後70年なので母が終戦を迎えたのは24歳の時になる。父は母より1歳年上。
寄せ書き
寄せ書きの中には、
一死報国(命を捨てて国のために尽くすこと)
祈 武運長久(武人としての命運が長く続くこと。また、出征した兵がいつまでも無事なこと)
聖戦(宗教的に神聖とみなされる正義のための戦争)
義勇奉公・戦勝・必勝・奉公などがよみとれる。左側の大きな文字は弾という字にも見えるが、なんて書いてあるのだろうか。
どんな気持ちだったのだろう・・・写真からは汲み取ることはできないが、世の中がみなこういうもんだったので、こういうもんだと思っていたのかもしれない。
こういう時代があったことを忘れてはいけないと強く思う。
昨日、桜の幹から裂けていた大きな枝から折ってきた小枝。
つぼみのアップ。気のせいか、昨日よりも膨らんだような気がする。
ブライダルベールのつぼみ。葉の内側から出てくるのねぇ。
昼飯前にトイレに行って手を洗っていた母に、付き添っていた私が「ご飯だよ~」と言うと「ご飯だげ、うっんめもん、よばれて長生き、しねばね~な~(おいしい物、いただいて、長生き、しなければならないな~)」と実感こめて言った。
「そうだね、長生き、しねばねぇね(長生き、しなければならないね)」と私。
母は午後のおやつを食べて、その後はF子さんからもらったむしと生き物図鑑を見ていた。
図鑑の中に赤とんぼが出てきたので私が「夕焼け小焼け~の♪赤とんぼ~♪」と歌うと・・・
母が「今こそ別れ目~いざ~さら~ば~♪」と続けて歌った。
私は音痴なので赤とんぼが仰げば尊しに聞こえたのだろうか?
とんちんかん?ちんぷんかんぷん?が楽しい。いい時代です。