HASSY局長のハサカル日誌

伊勢志摩バリアフリーツアーセンター事務局長HASSYが
日々のハサカル(気になる)出来事など記録していきます。

障害者(当事者家族)がかわいそう?と周りの人に思わせる社会環境が一番の問題

2022-04-17 23:34:17 | ハサカル
先日、新聞で出生前診断の記事を読んでいてふと思った。
その記事には、第三者の意見として「障害児を産んだら、家族が苦労する」「産まれてきた子がかわいそう」というようなことが書いてあった。
もちろん、そこに当事者による、「そんなことを勝手に決めつけないでほしい…」という意見も。
ごもっともだと思う。

そういえば、私も結婚してしばらくして、幼馴染のお父さん(実家近所のおっちゃん)に街で会ったとき、
「あゆちゃん、車いすの人と結婚したんやってね。大変やな、不憫やな、がんばって」と本当に哀れそうな顔で言われた。(笑)



そのころ、新婚だった私は、大変、不憫などと言うことはみじんも感じておらず…。
ショックも怒りもなにもないけど、お父さん世代は、そうか、そうなのか…と。
なにか、気の利いた返答をしたかったけど、その言葉は出ず…。
「そんなことないっすよ~」と笑って別れたけど、最近ちょっとその時の気持ちをうまく表現できるかも…と思えてきた。。

そもそも、障害が「不憫」「苦労する」「大変」「かわいそう」「哀れ」と人が思うのは、当事者や家族の問題ではなく、その人をそう思わせる社会環境が問題なんだと思う。
当事者は案外そこまで思っていないし…。
でも、時として、住みづらい社会、生活しにくい環境、いろんな制約、周りの人たちの他人事な反応に、ぶち当たった時、当事者家族であることを実感する。
じゃあ、不憫なのか?不幸なのか?と言われると、そんな風には思わない。
ある意味、誰も気づかない、そこに気づけたことが嬉しい。


おっちゃんが、私を見て、大変やな、苦労しとるなと見えるなら、それは、そんな生きにくい社会が現実なんや。
そやから、おっちゃん、そんな社会を変えていかなアカン思わん?



当事者や家族が、がんばってどうこうできるものでもない。
気付いた人が動きだすこと。
気付いてるのに動けない人を動かすこと。
そして、みんなが動きだすことで、社会が変わっていく


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