古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

超限界集落を訪ねました。

2009年11月18日 07時20分42秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 郷里の鳥取県で同窓会があり、秋の旅を兼ねて道子さんと軽自動車で出掛けました。雪が積もる前に中国山脈の山奥にある限界集落を訪ねてみたかったのです。鳥取県中部のその集落は、町役場のホームページの統計では、世帯数3/人口6名/65歳以上6名となっていました。
 あらかじめ郷里の友人に「車で行ける」ことを確かめましたが、それにしても二車線にガードレールのついたいい道です。高度が高いため紅葉の見頃は少し過ぎていますが、快適な秋のドライブです。
 目ざす集落に下の町から20分で着いてしまいました。村に入る細い道に車を入れたところで、運よく大根を洗っている女性を見掛けました。話を聞いてみると、その年配の女性は独りでこの村に住むのはこわくて、下の町から通って農業をしていました。家族が亡くなったのでしょうか。「他の二軒の家に年寄り夫婦が住んどりますけど施設に入った人もあって、数年したら村は無人になってやがて山に還るでしょう」と話されるもの静かな声が、川の瀬音とともにしみ込みました。
 次に訪ねた集落は谷が違いますが車で行くことができます。写真はその村の崩壊した民家跡です。太い木材がありし日の家を偲ばせます。
 村の入口には小石を積んだ塚があり『安徳稜』と看板が置いてあります。二車線の舗装道路の向うには立派な『平家一門之墓』が立っており、小径の先に『二位尼の墓』と看板が。感激した道子さんがだれかに話を聞こうとするのですが、崩れた家、崩れかけた家、崩れてしまった家があるばかり。
 ようやく見つけた村人は80歳くらいの元気なおじいさんで、栃餅(とちもち)をつくるために薪割りをしていました。話を聞いてみると、この村に生まれ育ち、暮らしてきたけれど、いまは下の町から通って菜園や自分の家の補修をしているとのことでした。平家の落人伝説のことを尋ねたら「まー、あちこちにある話ですけーな」とえらくつれない返事です。 ……  明日に続く
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