妙子さんが九十七歳六ヶ月ということは、その子供たちも相当な年齢になっているということです。きのうはその子供四人と連合いが集って近くの悠庵で会食しました。敬老会に招かれる年齢に近い子らが、それぞれに、それなりに、元気に参加できてよかった、という一日でした。なお写真は、別の日にひ孫たちが妙子さんとおしゃべりしている図です。小学生の萌ちゃんが生れたときは父方母方それぞれの四人のひいおばあちゃんが健在でしたが、いまでは妙子さんが最後のひいおばあちゃんです。なお萌ちゃんが生れたとき、ひいおじいちゃんは四人ともこの世に残っていませんでした。
きのうは最寄の駅まで迎えに行ったりしてバタバタしましたが(最寄といっても新三田駅は途中高速道をつかって40分かかります)、次回からはタクシーに乗ってもらおうと思いました。いままで、オレがオレが! と仕切ろうとしていた自分がいました。妙子さんには年金があるし、いまさらサーフィンしたり最新のファッションにお金をつかうことはないし、子らが来てくれるならタクシー代くらい出すわよと妙子さんは思うでしょう。自分が車に頼ってばかりいるもので、タクシーという便利な存在が盲点に入っていました。
私たちは「老いる」につれていままで自分のしていたことを順次手放していきます。人や便利な機械に頼るようになります。その手放す時期を的確に判断するのがむずかしい。そうそう。今年の一月、味噌をつくるときに電動ミンサーを買いました。味噌は大豆畑トラストで大豆をつくりはじめた10年前から毎年つくっています。はじめは手回しミンサーをトラストで買ってみんなで使いまわしました。そのうち電動ミンサーを貸してくれる麹屋さんから麹を買うようになり、電動ミンサーの便利さを知りました。トラストを離れ、麹屋さんも遠くなった今年、72歳になってから電動ミンサーを買ったのです。
年に一度味噌つくりにだけ使うミンサーを買う気になったのは歳のせいでしょう。借りにいったりしないで気楽に使いたい。その骨身を惜しむタイミングというか気運というか、そういうものの声に耳を傾けて、なるべく快適に暮らしたい。
きのうは新三田駅で弟夫婦を待つ間に駅のコンビニで『特選街』という雑誌を買いました。「iPhoneとiPadがちゃんと使えるようになる本」と表紙に書いてあったのでパッと買ってしまったのです。
定年退職したときは、これからは文章を書くんだと張り切ってワープロ『ルポ』に向かいました。ほんの10年余り前のことです。その『ルポ』が駄目になったので知人にもらったワープロ『文豪』に向かって文章を書きました。「ワープロが故障したので修理を頼んだが断られた。慌てて代わりのワープロを買おうとしたがどこにも売ってない。奔走してやっと二台のワープロを確保した。私はこれからもワープロを愛用する」とある作家のコラム文が新聞に載った頃でした。「ワープロとはなんと便利なものだろう。これがあればパソコンなんて面倒なものは必要ない。オレの人生は一生ワープロで十分だ」と心の底からぼくも思っていました。
で、それからいろいろあって、ま、いまはパソコンを使っています。あまりよくわかっていませんが。そのぼくが、これからもっと高齢になっても使えたらいいな、と思っているのがiPadです。あれは本が読める。しかも字のサイズを自由に変えられるし図書館や本屋で探さなくてもダウンロードすればいい。なんとかいまのうちに使えるようになっておきたい。
そういう気持ちで暮らしていたところにこの本と出会ったのですから、これから少し学習してみます。いまでも『カセットテープ』や『感熱紙』が売ってあるところをみると世の中にはそんな過去の機械に埋もれた人がいっぱいいるでしょう。いつまでも追尾していけるものではないにしても、iPadだけは使えるようになってこれからの人生を送りたいと思っています。
そうそう、思い出しました。去年は道子さんと相談して、妙子さんに敬老祝いに万年筆を贈りました。九十七歳の人に万年筆を送るのはピンボケかな。まさか10097年生きるわけないし。願わくはiPadへの思いが空振りになりませんように。