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2月14日の昼、散歩に出て撮った写真です。低いなだらかな山の連なり。木木の芽のふくらみ。肩を寄せあう数軒の民家。枯草の土手。トラクターで耕された田んぼ。土の中の蛙。蛇。みんな春を待っています。
何の変哲もない田舎の景色です。描こうとしても絵になりません。
つかみどころのない大らかさに魅かれて<大きいサイズ>でアップしました。
図書館で借りた本、豊田穣の『長良川』を読んでいます。
この本は一度借りたことがありますが、読まずに返却してしまいました。そんなことをぼくはよくします。そして自分では「あの本とは縁が無かったんや」と思うことにしています。でもこのたびまた大型活字本を借りて読みはじめ、引き込まれて半分読んだところです。軽く読み飛ばせない重い本です。
「豊田穣」は戦記文学を沢山書いているから、日本の軍隊の「勇ましい戦争」の手柄を書く人かと思っていました。保守派論客で戦記物を沢山書いた児島襄(こじま のぼる)と名前の字は似てるし、同じように思い避けてきました。
「小木曽 新」という作家がこの本の解説で「豊田 穣」を紹介していますので、そのまま引用してみます。
彼は、太平洋戦争中に捕虜になった。艦上爆撃機の操縦員としてソロモン海域の作戦に出撃したとき、米軍機に撃墜されて(海上を漂流していて)、捕虜になった。海軍兵学校を出ている、選ばれた青年仕官の身分で、捕虜になった。
だれの生涯にも転機のようなものはあるが、彼のばあい、捕虜になった、その瞬間から、人生のすべてが逆転した、といってよい。おそらく、これほどの逆転の例は、数少ないにちがいない。完全に、それまでの世界が裏返しになったのである。
生、そのものが否定されることになった。しかも、否定された生を、彼は理解し、肯定しなければならない。生ま身の彼は、死んでいないからである。逆説的にいえば、彼は、その瞬間から、ほんとうの意味で、生きはじめたのかも知れない。
彼の郷里には戦死の公報がとどいた。彼が米国の捕虜収容所を転々としている間に、母親は愛する長男が戦死したと信じて、しだいに衰弱して死んだ。彼の墓もできた。……。
あの戦争で、「日本の兵隊」が「捕虜になる」とはどんなことだったか。
無名の兵隊の戦争体験をよく読んできたぼくにも多少わかります。その自分に起こった現実を、目をそらすことなくここまで見つめた人がいたとは。そんな人の存在を、ぼくが75歳になって知るとは。
何かの縁でしょう。読んでからまた書きます。