我が家の裏山はほとんど平坦な地面が10~20メートルほどあり、そこから登りになります。その平坦なところに木を植えているのですが、それがつぎつぎと咲いて毎朝歩くのがたのしみです。いまはアセビやサンシユウの花がおわり、コブシ・ユキヤナギ・ミモザ・椿の侘助・沈丁花などが咲いています。
「うちで花見をしたい」とソメイヨシノの苗を6本も買って植えています。あれは植えて数年して咲き始めるそうですが、いま花をつけているのは5年前に植えた一本だけ。花が咲くようになるまでに数年かかるそうです。はたして今生で花見ができるでしょうか。
道子さんが植えたムスカリの球根が増えて、いま群生しています。クリスマスローズも咲いており、もうすぐネモフィラが咲くでしょう。コバノミツバツツジも咲きはじめました。寝室から裏山の花を眺めるのはしあわせな時間です。
親しかった先輩が亡くなられ、実感がわかず、しんみりしています。
昭和8年生まれで、日本が戦争に負けたとき(昭和20年)は小学校6年生でした。「どうもおかしいと思ったぜ」「大戦果をあげたなんてウソばっかり発表して!」「弱いのう。やっぱり負けたか」。まわりの大人はすぐに気持ちを切り換えました。子どもはそんな器用なことはできません。
敗戦のとき予科練に志願で入隊していた城山三郎は、あの敗戦をこう書いています。
私は廃墟になって生きた。 (『そうか。きみはもういないのか』より)
まわりの大人たちに煽られ、「日本は絶対勝つ!」と信じる少年だった先輩は、「ひっくり返えされた自分の宇宙をどのように修復したか」について、こう話してくれました。
ワシはな。なにをどう考えたらええかわからんようになった。まわりの大人の言うこと・することを
黙ってじーっと見とった。立ち直るのに1年かかったぜ。
敗戦のとき7歳だったぼくは、山陰の山奥で、戦争を実感することもなく蝉をとっていました。あの戦争の不条理が、少し年上の少年たちに「生涯にわたって影を落としている」ことを、あとで知りました。
まだ話をきこうと思っていたのに断ち切られました。