古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

〈自由〉って頼りない気もします。

2021年04月06日 17時24分08秒 | 古希からの田舎暮らし
 新しい『電動ウォーカー』は音が静かです。自分が歩いていても機械の音はしません。ベルトにのる自分の足音だけです。それで、愛用して歩いているのか。
 それがどうも。前のウォーカーでは、ベルトに乗って歩きはじめると30分歩きました。「よし、毎日歩こう/今日で5日つづいたな」と思いました。しかし新しいウォーカーではまだ30分間歩いたことがありません。昨日ちょっと気張って20分歩きました。それが最長時間です。
 なぜか。
 前のウォーカーは声で励ましてくれました。
 タイマーは30分で、歩くと減っていきます。歩いた距離(10メートルごと)や消費カロリーは増えていきます。3分ごとに「ピーッ」と音が鳴り、5分たつと「5分経過しました」/「10分経過しました」/ …… 「20分経過しました。あと10分です。がんばってください」/最後は「お疲れさまでした」/と励ましてくれます。機械の音声ですが励みにはなります。「よし、がんばろう」と思います。
 新しいウォーカーは、時間/カロリー/距離/時速/が増えていくだけです。途中で何のコメントもチェックもありません。「自分で目標を決める」とか「もうやめよう」と思うまで気ままに歩くのです。距離は100メートル単位で増える。励みになりにくい。
 
 前にも紹介しましたが、こんな話をききました。
「犬と人間の体の細胞は、ほぼ同じようにできている。人間は80年超生きる。犬は15年前後生きる。なぜ「違い」が出るか。人間は「目標をもって」生きている。朝起きて、「今日すること」を考える。犬は「ただ生きている。朝目が覚めて、餌を食べてなんとなく時間が過ぎていく。そして晩が来て寝る」。
 隠居の老人になるとその「目標」がなくなる。犬と同じような一日がやってくる。
 しかし考えてみると、目標というのは「ノルマ」というか「課題」というか「自分に義務を課す」というか。目標を目ざして自分にムチを入れて、「一生」自分を頑張らせる。ただ歩くのに目標がいるのか。気の向くままに「ま、これくらいにしとくか」と歩くのか。
 人間って、一生目標を自分に課して、「頑張れ!」と思いながら生きる「生き物」なのか。
 老人は自由といえば自由ですが、こんなつまらんことを考えました。
コメント
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