古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

トイレ読書

2009年04月14日 01時32分06秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 夜中に撮ったトイレの写真で恐縮ですが、我が家のトイレには本棚があります。家を建てるとき棟梁に『トイレ読書』の話をしたら、写真のような棚をつくってくれました。なかなか立派な棟梁でしょ。彼のことはいずれまたお話します。
 この本棚にはいま樹木の簡単な図鑑、藤澤周平や松本清張の文庫本、丸岡秀子の『声は無けれど』などが置いてあり、気の向くままにときどき入れ替えます。ではいつ読むかといえば、わざわざ読書のためにトイレに入ることはないので、ついでにということになるでしょう。詰り気味で時間がかかるわけではありませんが本を手にとると、くつろいだしあわせな気分になります。
 実は長年住んだ神戸の家には、便所に本棚がありました。
 二階のトイレはぼくの専用みたいに使っていたのですが、構造上横から入るトイレでした。だから便座にすわると壁面に正対するかたちになり、妙に手持ち無沙汰なのです。それに壁面がもったいない。カレンダーを貼って毎日にらめっこするのも芸がない。そこですわった正面に文庫本や新書本の幅程度のうすい本棚を作ってはめ込みました。9ミリの合板できっちり壁面にはめ込むようにつくったので数百冊は入っていたでしょう。種々雑多な本でした。文学、囲碁、英詩やチャールズ・ラムの本、愛唱歌の冊子、時局解説の新書本、ソフトボールの仕方とか仏像鑑賞の本、古寺巡礼や旅行案内など鴨居から床まで幅80センチ8段の棚にぎっしり。神戸の家に住んだ4半世紀は毎日この本棚と対面してすごしました。やがて老眼鏡がいるようになり、読みかけの本とメガネを置く棚でもつくろうか、と思ううちに引っ越すことになりましたが。
 この読書は、自力でトイレに行ける間はつづくでしょう。毎日のささやかな読書タイムは、時間の習慣というより心の習慣になっています。
 ところで今日の散歩は、平井山に車で出掛けました。公民館に車を置いて竹中半兵衛の墓に参り、平井山の本陣に行く途中の神社にお参りしました。この神社に二抱え以上あるアラカシの木が五本立っていました。こんなアラカシの大木は見たことがありません。縁を感じました。
 
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