古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

父の『引揚げ記』 (16)

2017年10月22日 03時14分08秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 日本が戦争に敗れた直後の「引揚げの悲劇」から見ると、むしろ恵まれ、ありふれた、手記ですが、ぼくには〈思い入れ〉があります。もし母が昭和18年に病気にならず、内地(日本)に一時帰国して療養しなかったら、あの敗戦の直後、〈母 / 7歳のぼく / 5歳の妹 / 4歳の弟 〉は父に連れられて、この手記のように逃げねばならなかった。そんなことができただろうか。その後の、104歳で存命の母、80歳のぼく、78歳の妹、77歳の弟、の人生は存在しているだろうか。
 手記を読んでいると、「たまたま、ラッキー!」ではない、なにかわからないけれど、深い意志の存在を思うことがあります。

 台風が近づき、雨で外の仕事はできません。それでも黒豆の枝豆狩りに来た人があり、雨合羽で畑に行きました。
 龍神さま、今年は大活躍なのか、雨、雨、雨ですね。山田錦の稲刈りもまだ残っています。
 どうかよろしくおはからいください。

 父の『引揚げ記』 (16) 昭和二十年八月十五日 朝鮮の山奥で

 ソ聯兵を迎える家ではなかろうか。或いはソ聯兵が既に入り込んでいるのかも知れない、と胸を波立たせながら、おずおずと歩いて行く。鉄道を横切って駅らしい建物を見ると、朝鮮の人々がたくさん集って、騒いている。屋根の上に登って大声で叫んでいる人もある。あれはきっとソ聯兵を迎える為の集りかも知れないと、恐る恐る駅に辿りつく。
 窓口を覗いて「京城行の汽車は何時に出ますか」と尋ねると、駅の人はじっと私の顔を見ていたが、
「今日はない。明日の朝まで汽車はもうない」
 と云う。がっかりである。仕方がない。今夜はこの連川に宿をとらねばならないので、旅館を探した。
「今晩泊めてもらいたい」
「宿は一杯で止められない」と日本人である事を知っているので、すぐ断られる。
「どんな室でもいいから」
「どんな室も空いていない」
 日本人であるが故に、天下に眠る家のない哀れさである。その間に日はとっぷりと暮れてしまう。仕方がないのでこの上は京城まででも歩いて行こうと覚悟を決めて、歩き出した。
 しかし足は痛むし家のない真っ暗な道を歩き続けていると、汽車の音がした。その方向に進んでいくと「金谷」という駅に着いた。汽車の事を聞いてみたが、明朝まで汽車はないという。仕方なく宿を探して頼んでみたが、日本語で話をするものは相手にしてくれなかった。
 暗がりで日本語の話をする者があるので、その方をよく見ると日本の兵隊である。十名ばかりの兵隊さんが既に武装を解除されて、地べたの荷を枕にぐったりと眠っているようであった。これ等の兵隊達も今夜宿る家もないので、この地べたで眠ると云う。
 私は空腹でへとへとになっているので、もう動く事が出来ない。やっと駅に辿りつくと駅のベンチに横になって眠った。
 翌朝目が覚めてみると、真っ暗なのに駅の切符売りの窓口には、二十人ばかりの人が列をつくって並んでいた。私は寝ぼけ面をしながら後に続いた。私のところまで切符を売ってくれればいいが、と気を揉みながら順番を待った。
 やがて私の後にまた二十人位の列が出来たと思う頃、やっと切符を売り出した。皆朝鮮語で切符を買っているのに、私一人は日本語で買わなくてはならない。その日本語が哀れに思えてならなかった。敗戦の日本の悲しい運命であった。私の後五人ばかり売られると切符は売り切れた。
 やれやれよかった、と胸をなで下ろす。暫く待っていると汽車が来たので、それに乗った。座席に座ると、ちょうどその前に朝鮮の子供が二人座った。二人の子供はトウモロコシを持っていてしきりにかじっている。昨夜も今朝も何も食べていないので、お腹の虫がくうくうなって、口の中は唾で一杯になる。まさか分けてもらうわけにもいかないから、眼を閉じてじっと我慢した。
 汽車が京城に近づくにつれて、日本人の姿もあちらこちらに見られるようになった。駅に止まっている貨物列車の中にたくさんの日本人が住んでいて、そのあたりにたくさんの洗濯物が干してある。そんな貨物列車が幾つも連なってある。戦に敗れた日本人が力一杯生きている姿を、しみじみと眺めるのであった。  (つづく)
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