古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『誤解だらけの明智光秀』おもしろかった。

2023年11月14日 02時00分10秒 | 古希からの田舎暮らし
 本郷和人という人は東京大学史料編纂所教授ですって。はじめて知りました。「そんな学者の書く本はむずかしいのだろう」と思って図書館でパラっとみたら面白そう。『誤解だらけの明智光秀』という本を借りました。読んでみたらほんとに読みやすく、おもしろい。明智光秀のことが知りたかったわけではありませんが、空想や嘘も混じる時代小説とちがい、歴史がよくわかりました。
 文章がとても読みやすく、サラッと読めます。少し引用してみます。
(なぜ明智光秀は本能寺に向かい、織田信長を襲ったか)という諸説のなかで、本郷和人がすすめる説は)


 現在、もっとも有力視されているのが「四国説」。信長の理不尽な四国征伐を止めるため、「本能寺の変」を起こしたという説です。
 舞台は四国の土佐。ここ土佐には、土佐統一を目指す優秀な戦国大名、長宗我部元親がいます。ちょうど光秀が丹波攻めに着手したころ、信長は光秀に、長宗我部元親と取り次ぐよう指示します。そして、元親に「四国はあなたに任せます。自分の力で勝ち取った領地は自分のものにしていいですよ」という朱印状を送りました。
 実は、元親の正室は、光秀の重臣・斎藤利三の妹です。光秀はおそらく、得意の交渉術で「どうぞ織田家の家臣になってください。そうすれば、信長は領地を奪うような真似はしません。それに、私の腹心の部下の妹はあなたの奥さんじゃありませんか」などと元親を説得したのでしょう。その提案を受け入れた元親は、その後、信長と親交を深めていきました。
 ところが、信長公認で四国各地を順調に平定していたある日、信長が突然、「やっぱり四国全部はあげられない。土佐と阿波の半分だけあべるから、残りは全部織田家に渡しなさい」と言い出します。当然、元親は「約束が違う!」と拒否しました。取り次ぎ役をつとめた光秀もかなりショックだったでしょう。必死に信長に抗議し、元親にも早まらないよう説得します。そんな光秀の取り次ぎもむなしく、信長と元親の仲は完全に決裂。三男の織田信孝を大将に、重臣の丹羽長秀を戦奉行にすえた大軍団を結成し、総勢一万四千もの織田軍を大阪の港に集結させました。
 そして、軍団がいざ四国征服に出陣! というその日に、「本能寺の変」が起こったのです。そのため、四国征伐は中止になり、元親は安堵します。
 これは単なる偶然ではなく、光秀が信長の四国征伐を阻止するために、信長を殺したというのが、四国説です。


 東大教授が書いた文なのか。名調子の講談をきいている気分になります。この学者はいっぱい本を書いてます。読んでみたくなりました。

 
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