
フィレンツェはとても活気のある街だ。
どんなに狭い路地にも、車やバイク(スクーター多し)が入り込んでくる。路上には行き交う人々がたくさんいる。
シチリアの首都パレルモも活気に満ちあふれていたけど、それとは少々おもむきが違うようだ。
では、どこが違うのか。

額縁風景その1
ラグーサにて
ええと、そうだなあー。
東南アジアや南アメリカの街中の映像を、テレビで見ることがありますね。
人々が、やたらと通りにいるとは思いませんか?
通行のために通りにいるのではなくて、立ち話をしたり、ぼうっと風景を眺めたりしている。
あまつさえ、飯を食っていたりする。
パレルモは、そういう風景と似ていたのであります。
山上の都市ラグーサもそうだった。夜の七時頃、夕食を食べるためにホテルを出てみると、通りには人々が溢れていた。

額縁風景その2
タオルミーナにて
“人々が溢れる”という言葉を、ワタクシは何気なく使いましたが、本当に溢れていたんです。
「すわ政変か革命か!」と思うくらいに、みんな外に出ているんであります。
しかし政変の割には人々に緊張感がない。非常に騒々しいが、統一感というものがない。みんなばらばらに話をしている。
あとで分かったのだけれど、イタリアの人は、家にこもっているよりも外にいることが多いそうです。
そして顔なじみと話をする。話をするのに、ともかく路上に出てきて、ずーっと立ち話をしている。

額縁風景その3
パレルモ郊外、モンレアーレにて
ここで話をフィレンツェに戻すけれど、フィレンツェはともかく観光客が多い。上を向いてふらふらしている人が、そこら中にいる(僕も含まれるけど)。
地元の人々はというと、何かしらの目的を持ってテキパキと歩いている。
だから、パレルモやラグーサみたいに、やたらと地元の人が溢れているわけではないのであります。
ソフィスティケイトされていると言ってもいいかもしれない。
ここで僕は、ブログ人の粋人であるalbero4さんに会いたかったのだけど、スケジュールの都合で会えなかった。
会えなかったのだけど、なぜか彼女のパートナーであるビリーとチッチーノには会えたのだ。
不思議な話ではある。
そして、イタリア旅行の最終日。
ローマ行きのユーロスターを予約してあったのだが、これがえらいことになったのであります。