藤蔵・勝五郎生まれ変わり伝説もむかし道を辿っている8月10日
中央大学の正門から左側の道を登りました。
左手には大きなグランド、右手は山
現在は切通状態になっているが、当時は獣道風だったのだろう?などと推測しながら、木陰を歩く。
バス停を過ぎ、
カトリック高幡教会前を通過
山裾の、昔の道らしい細道を歩く。
ただの一人共出会わなかった。
木立のトンネルを進む。
すぐに右の尾根から下ってきた道があった。標高120m
中央大学のヒルトップ隧道に向かう道を少し侵入
勝五郎生まれ変わり物語探求調査団は、左の山の稜線を歩いたと想像されている。
わたしは、この山裾の道を歩いたのでは無いかと推測している。
山を超える時、特別な事情がない限り、低い場所を通り抜けるのが人間だと思うから。
戻って、
多摩モノレールの開通に伴って開けた場所に到着
と言うか昔から、土日になると多摩動物公園の駐車場になる地域
昔の名残は殆ど見当たらない
多摩動物公園到着 標高104m
左横が多摩モノレールの駅、正面が京王線多摩動物公園駅と京王れーるランド
多摩動物公園では新型コロナウイルスに対する緊急事態宣言中でも営業中らしい。
右手に建つイベント施設「京王あそびの森 HUGHUG」はスルー
左側 強固な鉄柵の中に、長楽寺 石塔が見えた。
ここも素通り、昔道らしき細道を入ります。
横断歩道の真ん中あたりが、標高97.7m
程久保川に沿って高幡方面へ下って行ったのだろう、と推測
ひだまり公園を通過
湧き水が音を立てて流れていた。
左手に見事な鳥居神社 鳥居
階段を登ってみる。
江戸時代かあるいはもっと前からか、歴史を感じさせられる見事な神社だ。
階段を降りる途中、200年の歴史をひと目で見られた!?
降りてきて、
振り返り見上げる。
程久保川沿いに出てみる。
整備された程久保川と、新しい息吹が同居
勝五郎が歩いただろう道へ戻る。
この界隈、竹籠づくりと炭焼きが主な仕事だったのだろう。
途中で道が左へ曲がる。
程久保川、今は整備されているが、相当な暴れ川だっただろうと推測できる設え。
道路が、石垣の家を避けて走っている、・・・・・。
下ります。
右手には庚申塚が見えてきた。
この中の「舟形後背」観音は、藤蔵の父・須崎藤五郎(久兵衛)が1780(安栄9)年に建立した馬頭観音と言う。
「参拝西国三十三箇所霊場」と書かれていることから、霊場巡拝を達成した記念に建てたのか。
後方の民家に迷惑がかかりそうで、これ以上後ろへは諦めた
振り返りながら、
少し進むと、
有りました!!
現在は、家は建て直され、性も変わって入るが、
平田篤胤が書いた「勝五郎再生記聞」にある
「三軒並んだ真ん中の家で、裏が山に続く・・・」を彷彿とさせられる情景だ。
道路向かいの六地蔵,
当時とは向きが変わっているらしい。
資料の写真には屋根があったが、当日はむき出し!
かなりの損傷が有り、チョット痛々しい・・・・。
思いっきりしゃがみこんで、「家の裏が山に続く」を撮ってみた。
標高77.5m
この足で高幡不動尊「藤蔵の墓」を考えたが、時間の都合も有り帰ることに
高幡不動駅到着
東中野のバス停を降りてから1時間40分ほど。
あれーっ?
「篤胤氏の聞いた勝五郎と藤蔵の家は1里半離れている。」と書かれていた。
日野市郷土資料館資料では、5kmの距離だったと書いてある。
私が今日歩いた距離は多分5km以下!?!?!
気になり帰宅してすぐにグーグルで確認すると、調査団の地図は3.2km
篤胤氏の聞き取った「1里半は、往復の道のりではなかったのか?」
日野市郷土資料館では、1里半の記述を何故5kmに変更して、印刷をしたのか?
私自身は然程早くはないけれど、遠回りしても1時間で到着した道のり
完歩はしたものの、大きな疑問と課題が残りました。
29日は、16,094歩、歩きました。
新型コロナウイルスの感染者、
東京都は1,915人(男性1,067人 女性は848人)30日午後7時00分 東京都発表
日野市は、 +24人 累計 2,513人
立川市は、 +23人 累計 2,918人
小金井市は、+21人 累計 1,936人
八王子市は、+98人 累計8,542人
(29日時点の累計 東京都発表)
5時00分現在 室温は、29.7℃ 湿度68% あっ、エアコンをれ忘れた。
外気温は、27.1℃ 湿度63%