2月24日五日市会館で催される短編映画「みんなの憲法」を見学した。
しかし、
その前に情報収集を!!
と一寸早めに五日市駅前通りに到着
当てにならないナビの案内をかなり無視して、極端に細い一本道を進む。
ほぼ目的地(?!)到着
下調べした記憶を頼りに、歩く。
快晴の空に穏やかな日差し
案内板を見つけ、更に細道へ
進む。
木造りの橋の上に来ると見事な門構え
石柱が立つ。
門の脇が開いているので通り抜けると、
先客が帰る所。
屋敷は既に無く、1994年に修復された土蔵がぽつんと建っている。
案内看板がいくつか立つ。
屋敷の跡が読み取れる測量図
更に移築された屋敷の写真
発見された当時の土蔵はかなり傷んでおり、入口を開けるも周囲が崩れるほどの状態だったそうな。
もっともこの看板もかなり傷んではいた。
扉
最後方の坂道より撮影した敷地全体
右後方の橋を渡り道路へ出る。
三内川から積み上げられた石垣は見事だが、これは当時からのものだろうか?
後方の山の斜面に墓が見えた。
当時の家主、深沢権八氏(1981~1890年・29歳で没)が眠るのだろうか。
そして、五日市憲法を起草した中心人物、千葉卓三郎氏も明治16年 31歳で亡くなられたそうだ。
この五日市憲法については、
皇后様が79歳の誕生日に述べられた言葉を、発見者新井勝紘さんの同窓・古川さんから記事コピーを戴いた。
「五月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされているように感じます。
主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かって、あきる野市の五日市を訪れた時、
郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。
明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が寄り合い、
討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、
法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など204条が書かれており、地方自治権などについても記されています。
当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも40数カ所で作られたと聞きましたが、
近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、
深い感銘を覚えたことでした。
長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、
世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。」
民間から皇居に入られてほぼ60年、日本国の皇后様になられたお言葉と感じ入った私。
隣の真光院を見て、
会場となる五日市会館近くへ戻りました。
五日市郷土館で、「五日市憲法」を見学に向かいました。
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26日は、4、246歩 歩きました。