四半世紀を超えて活動を続けている「玉川上水に親しむ会」の例会活動
現在では、初期メンガーの方々は殆どがリタイアされ、会員数の目減りが続いている。
勧誘の方法も見極められず、ひたすら活動継続を目指して居る担当メンバー
12月度も新型コロナウイルスには最大限注意しながら例会開催を決めた。
4回続いた野川探索絡みもあり、「六郷用水路跡-上流」編の開催が決まっている。
18日水曜日、担当のかみさんに付いて歩いてきた。
南武線と小田急線に乗りつぎ、和泉多摩川駅到着
多摩川の堤防道路を歩くので、出口は西口へ!!
西口を出ると、左が南口、右が北口との表示!!
和泉多摩川駅や駅周辺は環境も考慮して創られ、手入れも行き届いていることに感心!!
西口改札の北口には寒緋桜だろうか、青空に映えていた。
駅前の横断歩道を渡り、
多摩水道橋左岸到着。
狛江高校の西南に当たる場所に、初代多摩水道橋の紹介
多摩水道橋の紹介盤が立つ
ここから多摩川左岸を上流方向へ歩く
真正面の林が目印
有名な「多摩川五本松」です。
松の木の数、数えると22本くらいか?!? 5本より多かった!!
西河原公園へ入り、トイレの確認
こちらの手入れも見事、
慰霊塔を仰ぎ見る
六郷用水の取水直後に分水された和泉分水が慰霊塔とマンションの間を流れていた様子。
公園内では園児だろうか、黄色い声を張り上げ、
黄葉を色づかせていた。
公園の案内図
西河原公園内を歩いても行けそうですが、古の流路確認のためあえて車道を歩く。
飛び地風にも見える一番北側の西河原公園入口到着
こちらにもトイレ設備があり、いたれりつくせりの仕様に感心!!
細い道を少し上ると、目指す「水神社」です。
水神社由緒
水神社由緒
鎮座地 狛江市元和泉二丁目三一八〇番四号
御祭神 水波能売神(みずはのめのかみ)
順正院宗可日久旲神(小泉次大夫)
此の地は寛平元年(八八九年)九月二十日に六所宮(明治元年 伊豆美神社と改称)が鎮座されたところです。
その後天文十九年(一五五〇年)多摩川の洪水により社地流出し、伊豆美神社は現在の地に遷座しました。
この宮跡に慶長二年(一五九七年)水神社を創建しその後小泉次大夫により六郷用水がつくられ
その偉業を讃え用水守護の神として合祀されたと伝えられる。
明治二十二年(一八八九年)水神社を改造し毎年例祭を行って来ました。
昭和三年(一九二八年)には次大夫敬慕三百四拾二年祭を斉行
もとより伊豆美神社の末社として尊崇維持されて来ました。
平成十二年九月吉日 伊豆美神社宣 小町守撰
俗に言う次大夫堀の守り神だったのだろう。
伊豆美神社は、洪水により流されてしまい、移動して再建されているとある。
入り口の石柱
坂道を交差点に上り、左手には「多摩川五本松」案内板
そして、六郷用水取水口の碑
ノンビリとした田園風景に見える写真も紹介されている。
徳川家康の命により掘られたという次大夫堀、
改めて格式の高さと貴重な存在を想う
福祉会館通り信号を渡り、石垣のある空き地到着
ここには「玉翠園」という料亭が有ったらしい。
さほど広くはない場所だが、図を見ると自然を生かした優雅な施設であったであろう様が伺える。
少し戻り、
細い道を抜けて、石垣の上川・根川公園に到着
玉翠園の建物は、こちらに有ったのかも??
現在は根川公園
バス通りになっている次大夫堀に戻り、探索を続けます。
ほぼ福祉会館通りが、次大夫堀の跡地です。
02へ続く
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