妻はアルツハイマー型認知症だった 介護終了・・・介護者のゆくえ

妻は入居中の特養で平成28年6月4日最重度の段階で永眠しました
妻の遺言を一生忘れないで生きていくつもりです(秘密)

介護の回顧(5)ばあちゃんのおみやげ

2013-01-26 16:50:34 | 介護の回想

平成19年3月頃の事 妻がグループホーム入所中の時のこと

当時 妻は一日中 起きている時間のほとんどは トイレットペーパーいじりを狂ったように、

50㎝くらいに ちぎっては折りたたんで積み上げて 並べていました。


仕事をしているつもりだったようです。

「止めて」と頼んでも全然言うことを聞かなかった・・・


グループホームに入所してからは 散らかす 衣類に紙くずを付けたまま ホールに出てくる等の

理由で取り上げられていた。


私が訪問の度ごとに ポケットティッシュを3つ4つ直接妻に手渡してきた。


この頃 当時小3の孫娘と息子が面会に行って帰ってきたとき・・・

直ぐに、孫娘が私の部屋に入ってきて・・・


顔をクシャクシャにした 口を開けたままの 今にも泣きだしそうな笑い顔で 上着のポケットを

右手でしっかりと押さえて 私に 「ばあちゃんからおみやげもらってきた」 と、それはもう

よっぽど気に入った物を貰ってきたと思った!

少し間をおいて・・・・

「何をもらったの?」と聞くと 「カミ」 と言って満面の笑顔のまま上着のポケットを、

右手で押さえたままだった・・・!

私は この時 これ以上のことは聞けなかった。


後日「ばあちゃんにもらったカミはどんなかみだったの?」と聞くと「ポケットティシュ」と答えた。


私はこの記憶胸に熱く焼き付いてます


磐梯山が見えました「再掲載」

2013-01-25 16:21:57 | 日記

PM1:30晴れてきました 午前中はみぞれ混じりの小雨で家に閉じ籠っていたが・・・

昨日は 空気が澄んでいて池に行く途中 安達太良山がくっきりとフロントガラスから見えていた。

今まで見える筈の磐梯山が ずぅ~と見えてなかったのが、左を見ると真っ白に大きく見えた・・・!


気に留めてなかったので10数年見たことがなかった

早速 車を止めて写真を撮ることにしたが本当に磐梯山か不安になった

ここは須賀川市内です。駅から4kmくらいの所です。


丁度目の前で 林檎の木の手入れをしていた農家の人がいた。

「あの真っ白の山磐梯山ですよね?!」と訊ねると「そうですよ今日は空気が綺麗だから・・・」と言って、

「家の裏の畑からはもっとよく見えるよ」と教えてくれた。


また、ここの標高は二百何十mと教えてもらったが忘れてしまった・・・が、二百までは確かです。

しかも、噴火前の磐梯山の写真を持っている人を知っているとも言っていた。


昨日、このブログを投稿したが介護のジャンルに載ってなくて環境に入っていた・・・

ので、今日介護のジャンルに投稿し直したのです。


磐梯山見つけました

2013-01-24 22:03:42 | 介護の回想

ようやく捉えた磐梯山

我が家から500m位の見通しの良い道路沿い


施設に夕食の介助に行ってきました

道路の圧雪もだいぶ溶けて施設までの道のり正常に戻った!!

今回の大雪には施設の通いに神経を遣いました


今日は 一日中無表情で 私を一度も見つめることはなかったが、食事は良いペースで

一度も拒むことなく完食


見方によると食べているこの時が 自分の生きている全てという感じがする・・・。

私のことを考えても 今自分は何を生きがいに毎日を生きているのか 自分に問うてみても

直ぐには答えられない。。。?

何も目標はないようだ。

妻の介護は日課であって目標ではない。

義務感だけのようだ。

生き甲斐があるとすればやはり妻の介護ということになります・・・

これからも妻の介護だけに専念するのが やはり 私は一番落ち着けるような気がする。


介護の回顧(4)

2013-01-23 21:18:49 | 介護の回想

妻の認知症の不思議

以前にも書きましたが 妻の認知症は理解できないことの一つに 手を使わないと言うことです。

いつも両手を組んで離さないのでスプーンで食べさせています。


4年前までは箸も使えたが 直ぐに箸もスプーンも完全に使えなくなってしまった。

私はアルツハイマー病による失行症で スプーンの使い方が解からなくなってしまって、

この機能が失われて二度と回復しないと思っていた・・・

ガイドブックにも そのように解説してあります。


自らスプーンを使わなくなって約2年後 23年10月31日施設でおにぎり作りがあった・・・

その時 出来ていた おにぎりを右手で上手に持って一つそっくり食べたのです。

しかも ごく自然の食べ方で。


これを見て手に持つ機能は失われてないと言えます。

手に持って食べるという一連の動作が働かなかっただけだと思う。

機能は失われていない。


その後 6日間は手に持って食べた。

夕食のご飯を特別に おにぎりにして貰いましたが6日目を最後にまた持たなくなりました・・・


声も出さないので意思の疎通がはかれない。

「持って」 とか 「持ちたくないの 」とか 「食べたくないの 」とか聞くことが出来ない。


その後 全介助が続いたが23年12月1日おやつの時間今度は突然せんべいを右手に持って

食べたのです。

この日だけだった。


暫く手に持つことはなかったが24年10月4日やはりおやつの時間 カステラ を右手に持って

食べたのです。

ごく自然に食べているのです。

いつも右手は固く握っているのにです。


デジカメで9秒間動画に撮ってあります。(施設で撮ってもらいました)

その後手に持った との報告はありません。


妻の認知症 重度に進行してしまったが失われた機能がもとに戻らないとは思えない。

アルツハイマー病でも一縷の望みはあります。

絶対に治らない病気だとは思っていません。


介護の回想(3)

2013-01-22 14:17:44 | 介護の回想

みぞれが小雨にかわった・・・と思ったら晴れ間が見えます

残雪が少しでも減ってもらいたいです。


3日毎の食事介助でいつも思うこと

自らスプーンを使うことはありません。

両手は きつく力を入れて握ったままなのでスプーンで口に運んで食べさせています。


一口一口ゆっくり味わっているのかどうか、完全に呑み込んでから次のスプーンに口を開けます。

いつもですが 後半 皆さんが食べ終わる頃になってからピッチが上がってきます。

それからあまり時間がかからないで完食・・・!


このことでいつも思い出すと言うより 浮かんできてしまう・・・。

妻は私と一緒になった頃から 家で一つテーブルで一緒に箸をとったことがほとんどなかった。

家族が4人になってからも4人一緒に食卓を囲んだことも滅多になかった。

皆が食べ終わる頃から食卓についた・・・


夕食介助のとき 妻自身は無意識の行動だと思うが私は思い出してしまう。

今となっては周りの皆さんの様子を覗うなど出来る筈はない。


食事は家族と一緒に食べたくない

食べられない

精神的の心の傷があってアルツハイマー病に侵されても身体の何処かにインプットされている

と思う。


以上 意味不明で解読出来ないことを書いてしまいました。

妻は認知症になり長年のトラウマから放されて 今は、なんの不安もなく穏やかな日々を施設で

過ごしています。

今の妻の唯一の生き甲斐は 私の夕食介助の時間だと思えることがあります。