妻はアルツハイマー型認知症だった 介護終了・・・介護者のゆくえ

妻は入居中の特養で平成28年6月4日最重度の段階で永眠しました
妻の遺言を一生忘れないで生きていくつもりです(秘密)

施設に夕食の介助に行ってきたが何か物足りない思いだった

2013-01-21 22:27:56 | 認知症介護

風もなく穏やかな一日だった

施設までの路面は 3日前は あれほどあった圧雪一部に残っているだけだった。

渋滞なくいつもと同じ5時45分にホールに入れた。


まず 最初に妻の反応をみます。

私に気が付かないようなので 職員さんが妻の耳元で 「旦那さんが来ました・・・」 と2度声掛けしたが

全然反応なし。

聞いてないように見える

聞こえない筈はないのに~

隣に座って 「ご飯きたよ・・・!」 と声掛けしても無反応。

真っ直ぐ遠くに焦点を合わせているようだ。

夕食が配られった

そのまま 少し様子を見ていたが配膳には見向きもしないで両手を握ったまま。

なので、スプーンで口に運ぶとそのままの姿勢で次々と食べます。


8人のグループになっていて食事全介助は妻だけです。

時々介助の方は2人いますが・・・


今日は30分で完食しました・・・早かったです。が、また一番遅かった。

この間一度も声は発しなかった

私を見つめることもなかった

食後 別テーブルの入所者さんが車椅子で私たちのところへやった来ました。

「毎日たいへんだねぇ・・・」 「どこから来たんだい~~」 「なんにもしゃべんないのかい??」

といつも同じセリフです。


私は「たいへんですよ・・・」 「〇〇〇から~~」 「うん、なんにもしゃべんないの・・・」 と

毎回同じ返事です。


今日は同じことを2度繰り返した。

入所者さん妻の事をよく観察していると感心した。


と言うのも夕食時 家族が食事介助をしているのは私たちだけだから。

しかも 皆さん全員食べ終わっているのに・・・目立つのは無理もない。

・また、別の入所者さん妻に向かて 「父ちゃんの事わかってんのかい」 とかまた別の入所者さん

「とうちゃんにやしなってもらわないでわがでくえ!!」と叱りに来た入所者さんもいた。


それでも無反応

表情の変化は全然見られなかった


介護の回想(2)

2013-01-20 19:47:37 | 介護の回想

家の近くから見た安達太良山です。右奥の薄く真っ白の山です

回想 平成17年頃 要介護2の時の記憶から

妻はアルツハイマー病と診断されてから3年間くらい 毎日、起きてから寝るまでの大半、

トイレットペーパーいじりと カバンの中身を出したり入れたりを延々と続けていた。


少し休んだかと思うと また直ぐに始まり狂ってしまった としか言いようがない状態だった。


気が狂ってしまって以前の妻とは全く別人になってしまったのは病気のせいだとは、この時点では

私も家族の者も認められなかった。


この異常な ムダな 無意味な行動を目の当たりに見るのは あまりにも忍び難く哀れに感じていた。


PM10:00から翌日の6:00まで トイレに籠ってトイレットペーパーを50㎝くらいに切って丁寧に、

ティッシュペーパーの様に折りたたんで 山積みにしていたことがあった。


この間 一睡もしなかった。

信じられないくらいの長時間の行動だった。

何回も何回も 声掛けしても 「今出るよぅ~~。」 と返事だけ・・・


余りの異常な行動を見せつけられて、これはやっぱり脳に障害が起きて脳の誤作動か?!

これがアルツハイマー病なのだと徐々に認められるようになってきたが、まだまだ、

病気のせいだとは認められなかった。


この頃、私は一体1日何時間睡眠をとっていたか思い出せない。

家族の者(息子)はAM1:00に帰宅して日勤の時(6時間後出勤)何時間もトイレに入っていられると

私が見ていると言っても 気になって眠れないと言っていた。


この頃グループホーム入所の検討を始めたのです。


介護の回想1

2013-01-19 15:32:43 | 介護の回想

我が家の玄関ドアーには防犯ブザーが付いています

-Warning Buzzer- と、書いてあります。


特養のデイサービスを利用していた時なので 平成17年の今頃の寒い日の午後だった・・・

偶然窓の外を見ると、妻が丸々と詰め込んだ黒いハンドバッグを両手に持って早足で、

東に向かっていくのが見えた


この日は息子が休みで家に居たので 「お母さんがそっちへ歩いて行ったから、捕まえてきてくれ!」

と言って,徘徊に至らなかったです。


この頃、7~8年前小学生に防犯ブザーを持たせていたーー。

これをヒントに玄関ドアーの上部に開けると防犯ブザーのピンが抜けるように取り付けたが、

一度も使うことなく そのままになっていた。


今日試しに ピンを抜いてみるとまだ電池が残っていて 丁度ネズミが大声で泣き叫んでるような

大音量で鳴ったのです。


もし、作動したならば、徘徊どころではなく驚いて部屋の隅にとじこっもてしまう筈だ。


この頃の介護度1~2の頃が懐かしいです。

見守っていれば自分の身の回りのことは出来た。

炊事も出来た。

買い物もできた。

洗濯も出来た。


なによりも会話が出来てコミュニケーションがとれていた。


今は全介助、声は発しない 自分で手に持って何も食べられない。

私を認識できません。

今の状態になって2年になります

アルツハイマー病はいずれここまで進行します


唯一の楽しみ食事は味わって食べてもらいたい

2013-01-18 22:12:11 | 認知症介護

アルツハイマー型認知症の妻 要介護5 全介助で老健に入所しています

3日毎の夕食の介助に行ってきました。

今日もまだ 国道以外は雪が残っていてボコボコの個所が幾つもあって10分ほど

遅れたが食事には間に合った。


直ぐには 私を認識出来なかったが 「ごはんたべようか」 「手を拭いてから」とか声をかけていると

私を分かってきたような感じになったが 目を合わせることがない。


3日前 遅れて到着した時 職員さんに食べさせてもらっていた。

スプーンに盛る量は私の倍以上で食べる速さも私の場合よりも速かった。


理由を考えたてみた

介護者により違いがあるようだ・・・食べさせ方以外に

元来妻は 他人にはすごく気を遣う性格で 身内の者の言うことは聞かなかった。

私の言うことには殆ど逆らっていた・・・?!

ので、職員さんのペースで食べていると思う。


もしかして、私には気を遣うことなく マイペースで食べられると思って食事を

楽しんで、味わっているのではと思ったりしたので??

そのように思えるのでこれでも良いのです。

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また、今日も一番遅かったが完食しました。

今日は笑顔は見られず、声掛けしても一度も頷くこともなかった。

体調不調の様だった。


【認知症】介護家族は大変ですね・・・と言われるが?

2013-01-17 19:42:32 | 日頃気になること

近頃、老々介護という言葉をよく耳にするようになった。

漠然としてますが、私は90歳前後で心身ともに健全な高齢者を見ると、子供さんが70歳前後で、

認知症を発症する場合もあります。

このケースも老々介護と言うのか・・・?


また、夫婦で齢が離れて年下の方が認知症という場合もあると思う。


認知症介護は大変だと一般に言われてますが、介護の専門知識がなくても皆さん適切な介護を、

実行してます。


しかし、定年前というか 生計を立てている介護者は在宅介護は無理です。

出来ない段階に進みます。

付きっきりの段階に進行します


介護の一番の難題は介護の大変さではないと思う。(私の場合)

一番の問題・悩みは経済的の問題です(私の場合)

二番目は家族間の人間関係です。

今は妻は施設に入所してます 経済的の問題と精神的の悩みはありますが、

耐えられないほどの悩みや苦しみは誰にもないと信じて介護を続けます。

 

私は介護家族という言葉好みません 介護者と言いたいです