新春にセントポーリアが咲きました。
歴史という長い尺度で推し量れば、つい最近まで布は極めて貴重品であった。
養蚕農家だった私の家には、繭から生糸を引き出す道具や、その糸を使って反物を織る機織機が揃っていた。
昭和25年に結婚した84歳の姉が最近「嫁入り道具としてそろえてもらった衣類の多くは、母親が繭から糸を引き、織りあげた物だった、あまり使うこともなく、箪笥の底に眠る衣装はもう不要品だけれど、どうしても捨てられない」と言ってた。
布の元は細い糸である、その細い糸を一本一本、人の力で積み重ねるように織り上げてゆく。
しかし布は自動織機の進歩によって量産され、特殊な一部を除き、紙のように可燃ゴミに成り下がった。
それはともかく、世界中から裸族が消えたのだから素晴らしいことだ。
この紡績機械と自動織機の進歩に大きく貢献した日本人がいる。
それは自動織機の豊田佐吉とガラ紡の臥雲辰致である。