故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

しこり

2017-11-30 07:47:42 | よもやま話


傷あればこそ熟す。
こう思いたい。

今日のテーマは、「しこり」です。

第二次大戦後、戦勝国への補償で、
オランダと最後まで交渉が上手くいかなかった。
インドネシアへ侵攻し、石油を確保しようとした日本軍。
当時の支配者オランダとの戦争は、短期に終わり、オランダ軍は捕虜となった。
捕虜となったオランダ人は、インパール作戦のための鉄道の苦役に使われた。
オランダの日本に対する感情は最悪であった。

日本軍の兵士とオランダ人女性との間に生まれた、
日系二世の話はすさまじかった。
日系であることを隠して生きてきた方が多かった。
日系であるがために迫害を怖れた。
しかし、多くの方は差別された。
中には凌辱された女性(子供)もいた。
戦後長い時を経て、日系の方達の父親捜しが始まった。
憎いけど、自分が現在あるのは、父親がいるからと探した。
やむなく引き上げた日本兵も自分が残した家族を探していた。と知った。
その中のある日系オランダ人女性が言われた言葉が、印象に残った。

「憎しみを、次の世代に残さないために」

補償は、思わぬ形で実現することになった。
秋田県八郎潟の干拓事業の技術料の名目で補償することに、
オランダは同意した。
干拓事業が終了した翌年から「減反政策」が始まった。
全国から集まった優秀な人たちの葛藤と苦悩は、今でも続いている。

戦争の傷跡は、何世代にも渡り連鎖される。
その傷跡を掘り起こし、精神的に克服するのは容易なことではない。
表に出てくる話は氷塊したように伝えられるが、
多くは未だに闇であると想像される。

私達は、何があったのか知り、真実と向き合わなければならない。

傷跡を 隠すことなし 誰も知る

2017年11月30日
コメント
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