故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

ほらほら、また痩せられた

2017-11-08 07:18:28 | よもやま話

歳をとると、努力して笑顔を作らないと、
近づきがたい表情になりがちです。
一生懸命の笑顔です。


こうして書くことが出来るようになりました。
今日のタイトルは、「ほらほら、また痩せられた」です。
この2週間というもの、開店準備の頃のように忙しかった。
今年の1月に、蔵を借りる契約が成立しました。
借りたいと意思表示して、4カ月を要して契約ができました。
蔵の中に溜まったゴミを出すのに1か月かかりました。
蔵の中をほぼ空っぽにして、業者と改造方針を詰めました。
自分が描いた設計図を基に、業者にどうしたいか相談しました。
雷の被害を調査した後、電燈をLEDにし、動力線(100V,200V)の引き回しをしました。
レイアウトに合わせ、配管(給水、排水、ガス)を引き直しました。
なるべく明るく安全な家庭のような一体感のある空間を大工にお願いしました。
畳をもらい受け、1ヶ月間陽に当てて臭いを抜きました。
ソファを置き、椅子(2人掛け、4人掛け)を並べ、畳(6畳)を敷きました。
子供連れが安心して食事ができる空間を目指しました。
20人のお客さんが顔を見ながら話ができる空間。
2人連れのお客さんのプライベートの会話ができる空間。
外構(ウッドデッキの手直し、車椅子で入れるアプローチ)をやりながら、
安全、安心に主眼を置いた(階段の手すり、蔵の戸で目隠し)工事をしました。
予算の都合から業者都合優先のスケジュールで1ケ月を要しました。

設備(電気オーブン、ミキサー、お好み焼き台、シンク、テーブル椅子など)や
備品(食器、料理器具、棚など)を揃えました。
足りないものは、軽トラックで川崎まで買いに行きました。

安全衛生教育を受講し、保健所に通い「食堂」の営業許可証をもらいました。
開店の知らせのビラを印刷(1500枚)し、メニューを作りました。
出す料理とパンの試作を繰り返しました。
何とかできるようになった頃、近所の方と協力者を別々に招待し試食会をやりました。

2か月はあっという間でした。予算を遥かに超える費用と労力がかかりました。
金の工面をつけ、妻と二人だけの奮闘が続きました。
見かねて、友人の多くが手伝ってくれました。

今回は2週間のドタバタ劇でした。
やれるかな、やれたじゃないと多忙を楽しめました。
妻から、再三「こんなことを始めて」と愚痴もでました。
コミットしたからには止めるわけにはいかない。
体力の限界。張り詰めた気持ちの維持。
また、良い経験をさせていただいた。
結果、ご褒美のような体重減(4Kg)でした。
楽しまなきゃ、楽しませなきゃがモットーです。
なんとか乗り越えられました。

なぜできたか。
死んだまんまの空き家に入った経験が生きました。
人が亡くなると言うことは、誰も片付けなければ、
生活をしていたそのまんまということです。
全然知らぬ8枚の遺影が見下げる居間で寝ることから始めました。
いつか片付けようと思ったまんま亡くなられていました。
私たちが、片づけ傷んだ箇所を修繕しました。
そして、大量のゴミを捨て、クリーニングをしました。
長年(6年)放置された背丈より高い庭の木を剪定し、
竹と雑草が伸び放題の庭を開墾しました。
ついでに前の山の低木と雑草を刈りました。
これが実に半年かかりました。
都会の空き家(不動産屋が管理)と違うところです。

「ほらほら、また痩せられた」でした。

畳陽に 赤子ハイハイ 立ち歩き

2017年11月8日
コメント
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