昭和記念公園で見た紅葉です。
ハローワークで、「今が見ごろ」と教えていただきました。
今日のタイトルは、「走り出したら行きつくところまで」です。
良い意味で書こうとしましたが、
この言葉が持つ印象は、悪いことばかりです。
借金を払うために、借金をする。
嘘を隠すために、嘘を重ねる。
農業生産の効率を上げるために機械を購入する。
購入した機械を最大限働かせるには、
広い耕作地で作る単一品種となる。
頑張っても給料は一緒と機械が掘り切る作物しか獲らない。
自然の摂理で実る、18cmより深い作物は残ってしまう。
落穂ひろいなんて、夢の世界。
そして、余った時間はジョギングをする。
本社工場は機械を導入して、生産効率を上げる。
難しくて利益の出ないものは、下請けに回す。
それでも足りず、生産拠点を海外にシフトする。
在庫リスクを減らすために、注文即納入を迫る。
本社のスタッフは減り、安易な仕事しかなく人材は育たない。
円安で株購入をしやすくする。
株価を上昇させないと、外国人投資家は逃げてしまう。
結果、儲かった金は頑張った従業員には回らず株主に行く。
「行きつくところまで行くしかない」という閉塞感です。
さて、本来の「走り出したら行きつくところまで」について書きたい。
途中で投げ出すのを、翻意と言ったり、根性なしと言われ続けてきました。
物事は、失敗を繰り返す。
繰り返し、成功するまで続ければ糧となる。
若い人は、誰でも初心者です。
老いたる人は、経験豊富でも成功体験を話すばかり。
挑戦したうえでの失敗は、経験となる。
どこが悪かったのか、次に是正できる。
逃げて上手くいっても、良かっただけしか残らない、その場限りとなる。
その場限りを続けたら、岐路で間違った選択をしても気づかない。
けっして楽な方を選ばない。
かつての安易な生活が、今重くのしかかる。
しかし、続ければ何とかなるのじゃないかと頑張ることにしました。
「走り出したらいきつくところまで」と自己責任を通します。
わずかな歯車になれれば良い。
欠けていた歯車が加わると、回り始めるかもしれない。
落ち葉より 木に森重ぬ 昔から
2017年11月15日