「毎日がおりゃてなもんで」と実につまらぬ自画像です。
今日のテーマは、「ボランティア」です。
市の広報に載っていた高校生の見解、
「ボランティアは無償のお手伝い」ではなく、
進路に対する考えを深めたり(高校や大学の単位に含めれば良い)、
人生を豊かにするもの(まさにこの通り)に変えたいと言っていました。
ボランティア仲間の分裂を時々耳にします。
立ち上げた時のメンバーだけが残り、
新しいメンバーが入って来ないとも聞きます。
震災以降、ボランティアの数は激減しています。
但し、嘆いていない。
まだ手伝ってくれてる人が多く(コップに半分の水)いて、助けになっている。
どうしても足りない専門職の代行や、
むしろボランティア自身の生きがい(挑戦)になっている。
震災時、茫然自失の状態の時、多くのボランティアが来て、
流れた廃材を、同じくあってはならない泥を片付けてくれた。
なんとか、自分たちでもやろうと言う気になった。
これです。
地域おこしはビジネス(仕事)である。
少なくとも、挑戦(プロジェクトとして)であり、生きがいである。
奉仕活動は、時々「やってやっている」(無償のお手伝い)になってしまう。
やらせていただきます(自己研鑽)。とはならない場合が多い。
カフェを開店する前に、ひたすら草を刈り剪定(竹抜きも含む)をしました。
地域の方は、何が始まったと不思議な顔をして通り過ぎて行かれました。
誰からも声がかかりませんでした。放って置いてくれた。
毎日が楽しくて仕方がなかった。
私のような人種(職人、プロジェクトエンジニアー)は、
成果が見える仕事を好みます。
誰にも言わない、独りだけの楽しみでした。
それがばれちゃった。
そんな面白いこと、俺にも手伝わせろいう方が出てきた。
そんなに言われるなら、手伝っていただきます。
やはり、何らかの職人の方々でした。
そして、忙しい方々でした。
金を払おうとしました。
そんなら手伝わないと言われました。
それはいけません。
私たちができること(パン焼き、お好み焼き)でお返しをしました。
それは、気持ちよく受け取ってくれ感謝されました。
回らくなった(金とサービス)田舎です。
回る手助けをするのが、ボランティアかもしれない。
仕事柄、外から目線で見て、内から発信してくれと良くお願いされます。
それは、無責任な評論家のやることです。
汗をかかぬものが発信しても伝わらない。
カフェを開いても、SNSや報道(新聞、テレビ)で
集まった遠くの人じゃ意味がない。
まずは、近所の縁側です。
時々来られる地域外の人(薬売りのような方)と話ができれば良い程度です。
暇な人この指とまれと言ったって、誰も来ないのです。
何だか面白そうだな。
本当にやれるのかと皆さんが見ておられます。
おらが町にもう一つ面白いことが始まった。
これこそ挑戦です。
独りよがりの面白いことなんて続かない。
こうしたらいいんじゃないと、カフェに来られる方が言われて行きます。
そうですね。そうしましょうと、どんどん変わっていきます。
こんなはずじゃなかったはありません。
目的がしっかりしているはずだから。
目的は、実にシンプルです。
縁側を作りたい。
内の人は外が見え、
外の人も内が見える。
彼女を口説こうとカフェに来られるお客さんがいます。
それも良しかな。人間のやることだもの。
テーマは、「ボランティア」でした。
屁をひとつ 静かなカフェに 鳴り響く
2017年11月9日